「幸せ」と「快楽」の違い

 生きものが生き残るための本能行動は遺伝子に組み込まれているが、このベター志向もそのひとつである。その遺伝子のプログラムを実行する、つまり実際の行動に移すことで、死からの距離が広がり「幸せ」になるのである。

 例えば、食べることは「快楽」であり、栄養価の高いものはより美味しく感じる。「快楽」は報酬系と呼ばれるドーパミンなどの脳内神経伝達物質の分泌を促し、またさらに食べたいという意欲をかき立てる。

 このように、生きものがベターを求める行動に移すことで、死からの距離が広がり「幸せ」になる──つまり、「快楽」は生存本能を行動に移すためのサポーターなのである。

 但し、生物学的に「快楽」は「幸せ」と異なる。「快楽」は「幸せ」そのものではなく、脳内神経伝達物質の放出による生理作用に過ぎない。あくまでも進化の途上で形成された本能のサポーターであり、これだけで「幸せ」になることはできない。

 それどころか、「快楽」は真の「幸せ」を見えにくくし、健康を害することで、死からの距離を縮めてしまう場合さえあることには気をつけなければならない。これは麻薬が危険なのと同じことである。

居場所の確保も、死との距離を広げてくれる

 こうした生存本能に加えて、社会的な生きものである人間の場合には、「死」からの距離を大きくするために、コミュニティ(共同体) を構築することも大切である。

 コミュニティに所属する個人としては、そこへの貢献が「死」からの距離を保つために重要な要素となる。つまり、一人で生きていくことができない人間は、コミュニティに属さなければならず、居場所を確保するために、与えられた役割をきちんとこなすことが必要なのである。

 このように、「人間の幸せ」=「死からの距離が保てている状態」は、遺伝子レベルに書き込まれた生存本能に根ざしたものであるというのが、著者の仮説である。要するに、安全、健康、つながりといった、生きものとしての生存と再生産が保障された状態こそが「幸せ」だというのである。