ニクソン・ショック
今はウクライナ戦争やトランプ関税などの影響で、庶民は物価高に苦しみ、「脱物質主義」とはほど遠い状況である。主食である米が、価格が高すぎて買えない人々がいるというのは、60年代には考えられなかった。明日は、今よりも貧しくなると多くの人が考える事態となっている。
ベトナム戦争は、第二次世界大戦後にアメリカの力を軸に構築された国際システムを大きく揺るがすことになった。
戦後の通貨制度については、米ドルを基軸通貨とし、1オンス=35ドルで金と兌換できること、為替相場を固定すること(たとえば、1ドル=360円)が決められた(ブレトンウッズ体制)。しかし、ベトナム戦争によってアメリカの財政が危機的な状況に陥り、もはやこの制度を維持することは不可能となった。
アメリカでは、財政赤字と並んで、貿易赤字も発生した。60年代の高度経済成長で、西ドイツなどの西欧諸国や日本が復興し、アメリカへの製品輸出を増やした。そのため、アメリカの貿易赤字が増え、71年には、100年ぶりに貿易赤字となったのである。
双子の赤字に対応するため、71年8月15日、ニクソン大統領は、ドルと金の兌換を停止し、ドルの価値を下げ、変動相場制に移行した。これをニクソンショックという。このとき、ニクソンは全ての輸入品に10%の課徴金を課している。

その1カ月前の7月15日、ニクソンは北京を訪問することを電撃的に発表した。72年2月には、ニクソンが訪中し、米中共同コミュニケを発表し、敵対関係に終止符を打った。その後、79年にカーター大統領と鄧小平との間で正式に国交が樹立されるが、このニクソン訪中は、日本の頭越しに行われ、当時の佐藤栄作内閣の威信は揺らぎ、日本中が大きなショックを受けた。
トランプ大統領が、ウクライナやヨーロッパの頭越しに、プーチン大統領と和平を進めようとしている姿勢に似ているとも言えよう。
以上のように、ベトナム戦争は、第二次世界大戦後のアメリカ主導の国際秩序を大きく転換させることになったのである。