
(舛添 要一:国際政治学者)
今年の4月30日はベトナム戦争終結からちょうど50年目にあたる日であった。この戦争について振り返り、その意味を考えてみたい。さらには、当時と今日との比較から見えてくる思想状況の変遷にも焦点を当てたい。
東西冷戦
第二次世界大戦後の世界は、米ソ冷戦へと進んでいく。ヨーロッパでは、1948年4月にベルリンが封鎖され、翌49年4月にNATO(北大西洋条約機構)が発足する。アジアでは、同年10月1日に中華人民共和国が誕生する。さらに、50年6月25日に朝鮮戦争が勃発する。
東西冷戦の激化は、占領下の日本にも大きな影響を及ぼし、保守化が進んでいく。50年にはレッド・パージが行われ、警察予備隊も作られ、日本は再軍備化する。これを「逆コース」と呼ぶが、それに反比例するように、知識人の左傾化はさらに強まっていく。
「保守=親米=軍国主義」vs「革新=親ソ連=平和主義」という対立図式が言論界で喧伝された。スターリン独裁のソ連でおぞましい血の粛清が行われたことなど、日本のインテリは知らなかったのである。
ところが、56年2月、フルシチョフがスターリン批判を行う。これが日本にも伝えられ、日本の知識人に大きな衝撃を与えた。しかし、社会主義を否定する動きとはならなかった。
さらに、発展途上国の成長モデルとしても、ソ連型の計画経済が喧伝された。第二次大戦後にアジアやアフリカで植民地が次々と独立し、近代化への離陸を試みるが、日本の多くの知識人は、自由放任の資本主義よりも、計画経済の社会主義的手法のほうが効率的で権力の腐敗が少ないという考えであった。