西欧の知識人は39年の独ソ不可侵条約以来、ソ連の本質を見抜いていたが、日本の知識人はこの期に及んでも社会主義への幻想を抱き続けた。たとえば、丸山真男は「ベトナム戦争に反対した者のみがソ連を批判できる」と述べたが、これこそ「進歩的文化人」の限界を露呈した発言であった。

政治学者の丸山真男=1964年5月(写真:共同通信社)

1968年の学園紛争

 ベトナム戦争に対して、反対の声が世界中で高まり、とくに若い世代が声をあげた。キャンパスでの抗議活動は、大学改革への導火線の一つにもなった。

 68年5月、フランスで学生の反乱(いわゆる5月革命)が起こった。

 私は、当時は東京大学の学生であったが、日本でも、アメリカでも、先進民主主義国で学園紛争の嵐が吹き荒れた。東大では入試がなくなり、私たちは1年間、授業のない学園生活を送り、その遅れから卒業は3月末ではなく、6月末になってしまった。アメリカでは、ベトナム反戦運動が激化した。

 現在の大学キャンパス、特に日本の大学では、政治集会が開かれることは稀である。アメリカの大学では、パレスチナ支持の学生たちがイスラエルに抗議する集会を開いているが、トランプ政権は、大学への補助金カットという形で、これを弾圧している。

 当時と今との違いは、SNSである。現在では、既存のメディアに加えて、SNSが世論形成に大きな影響を及ぼすようになっている。選挙の結果も左右する。SNSについて、今後さらに研究を深めていく必要がある。

 68年当時の若者の運動に共通していたのは、授業料値下げといった物質的な要求ではなく、意思決定過程への参加要求のような脱物質的な要求であった。ロナルド・イングルハートは、これを「ポスト・マテリアリズム(脱物質主義)」と呼んだ(邦訳、三宅一郎他訳『静かなる革命』、東洋経済新報社、1978年)。

 社会主義は物質的な改善要求をうたうものであり、この脱物質主義は、豊かな社会の若い世代が社会主義に背を向け始めたことを意味する。学生運動では、日本共産党(代々木)の民青が物質主義であるのに対し、反代々木の全共闘は脱物質主義であった。

 60年代の日本は高度経済成長を謳歌した。まさに「豊かな社会」を実現したのである。今日よりも明日が、明日よりも明後日がより豊かになるという信念を皆が抱いた時代である。

 軍事外交の面でも、アメリカの核の傘の下に安住し、自らの戦略を立案する必要もなければ、その気もなかった。すべて、アメリカ追随で事足りたのである。

 しかし、アメリカ第一主義をさらに強化する第二次トランプ政権の下で、ヨーロッパもアメリカに依存しない軍事力の保持を検討し始めた。日本も同様の準備が必要であろう。