特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」会場写真

(ライター、構成作家:川岸 徹)

現在NHKで放映されている大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。その主人公である出版人・蔦屋重三郎(1750〜97)の活動の全貌をひも解く特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」が東京国立博物館で開幕した。

会場に吉原の街並みを再現

 大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の放映により、一躍“時の人”となった蔦重こと蔦屋重三郎。今年は全国各地の美術館で蔦重をテーマにした展覧会が複数予定されているが、その決定版といえる展覧会、特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」が東京国立博物館 平成館で開幕した。

特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」会場写真 ドラマで実際に使われた吉原大門を設置

 展覧会主催は東博とともにNHK、NHKプロモーションが務めており、大河ドラマ『べらぼう』と深い連携が図られている。会場の入口には吉原への唯一の入場口であった吉原大門を設置。この大門はドラマの美術チームが制作したもので、ドラマで実際に使われたという。門をくぐると桜の木が並ぶ吉原・仲之町通りが現れる。ドラマの世界に入り込んだかのような雰囲気に気分が盛り上がる。

 展覧会の企画・監修は東京国立博物館学芸企画部長で、『べらぼう』では近世美術史考証を担当する松嶋雅人。蔦重が手がけた黄表紙、洒落本、狂歌本、浮世絵などを中心に、展示替えを行いながら約250作品が展示される。

出版業の始まりは吉原の情報誌

『箱入娘面屋人魚』 山東京伝作 寛政3年(1791)正月 東京国立博物館蔵 通期展示 ※会期中、頁替えを行います

 蔦重の生い立ちを簡単に紹介したい。1750(寛延3)年、蔦屋重三郎は江戸・吉原の貧しい家に生まれ、7歳の時に吉原で引手茶屋を営む親戚・喜多川家に養子として引き取られた。当時の吉原は不景気の只中。江戸のあちこちに非合法の岡場所が増え、金がかかる吉原からは客足が遠のいていた。だが、23歳になった蔦重はそんな吉原に商機を見出す。吉原大門五十間道に、蔦屋次郎兵衛の店の軒先を借りて書店「耕書堂」を開業。版元・鱗形屋孫兵衛から吉原遊廓の案内誌『吉原細見』の“改”を任される。

「“改”とは、『吉原細見』の掲載情報をアップデートする仕事。それから1年後に蔦重は早くもオリジナルの細見の刊行に踏み切ります。第1号となった『籬の花(まがきのはな)』は情報鮮度が高いのに、値段が安い。吉原を訪れる客の人気を集め、やがて細見出版は蔦重の独占事業になっていきます」(松嶋)

 細見を発行しながら、蔦重は独自の出版事業にも乗り出す。蔦重が初めて手がけた出版物『一目千本』は、吉原の遊女をアツモリソウやモクレンカといった花々になぞらえて紹介する遊女評判記。絵は当代随一といわれた人気絵師・北尾重政が担当。一般に販売された様子はなく、遊女がなじみの上客に配ったものだと考えられている。

『青楼美人合姿鏡』 北尾重政・勝川春章画 安永5年(1776)正月 東京国立博物館蔵 通期展示 ※会期中、頁替えを行います

 洒落や風刺を効かせた物語書籍、すなわち“黄表紙”では、山東京伝作『箱入娘面屋人魚』が面白い。おとぎ話「浦島太郎」の後日譚ということだが、ストーリーは荒唐無稽。沖釣で生活費を稼ぐ平次が品川沖で釣りをしていると、船に人魚が飛び込んできた。その人魚は浦島太郎と鯉との娘。平次は人魚と結婚し、妻となった人魚は吉原に働きに出るという物語だ。一丁表には、蔦重が裃姿で口上を述べる姿が描かれている。