「松山智一展 FIRST LAST」展示風景

(ライター、構成作家:川岸 徹)

ニューヨークを拠点に活動、壮大なスケールの絵画や巨大な彫刻作品が世界的支持を集める現代美術家・松山智一。大回顧展「松山智一展 FIRST LAST」が麻布台ヒルズ ギャラリーで開幕した。

世界を驚かせる次世代アーティスト

 ニューヨーク5番街とブロードウェイが交差する場所に建つフラットアイアンビル。V字型の外観がユニークで、ニューヨーク・マンハッタンのランドマークのひとつとして知られている。

 そんなフラットアイアンビルの前に、2022年、松山智一のパブリックアート《Dancer》が設置された。鏡面仕上げされたステンレス鋼製の彫刻作品。表面にはマンハッタンを行き交う多様な人々の色や形が映り込み、ヴィヴィッドに揺れ動く姿は踊り子(Dancer)のようにも見える。人と社会とのつながりを詩的に表現した作品として高い評価を獲得した。

松山智一《Dancer》 2022 H339 x W360 x D359 cm Stainless Stee

 松山智一はおよそ25年にわたってニューヨークを拠点に活動し、いまや世界が最も注目するアーティストのひとりになった。日本でも2020年に、JR新宿東口駅前広場に高さ8メートルに及ぶ巨大パブリックアート《花尾》が設置され、明治神宮「神宮の社芸術祝祭」では彫刻《Wheels of Fortune》が公開されるなど、作品を目にする機会が増えている。

 そして2025年3月、東京初となる大規模個展「松山智一展 FIRST LAST」が麻布台ヒルズ ギャラリーで開幕した。まずは松山智一の経歴について簡単に紹介したい。

8歳で家族とともにアメリカへ

松山智一さん

 1976年、岐阜県高山市に生まれた松山智一。父親は牧師で、松山自身もクリスチャンとして育った。8歳の時には一家そろってロサンゼルス近郊のオレンジカウンティに移住。決して治安のいい場所ではなく、アジア人差別を受けることも珍しくなかった。そんな松山の心を支えてくれたのが、当時ブームだったスケートボードだったという。

 その後帰国し、上智大学にて経済学を学ぶ。夜は桑沢デザイン研究所ビジュアルデザイン科に通い、アメリカへ戻りたいという思いを強めていく。2002年、松山は再びアメリカへ。ニューヨーク私立美術大学院プラット・インスティテュートコミュニケーションズ・デザイン科に進学し、首席で卒業した。

 松山はアメリカで移民としての孤独を感じながら、多文化主義をテーマにした作品の制作に取り組み始めた。東洋と西洋、古典と現代、具象と抽象。そうした対極にあるものとして理解されがちな多様性を、一度崩し、再構築することをテーマに創作活動を続けている。