「異端の奇才——ビアズリー」展(以下、ビアズリー展)展示風景

(ライター、構成作家:川岸 徹)

19世紀末に世界中を騒然とさせた英国の画家オーブリー・ビアズリー。初期から晩年までの挿絵、直筆の素描、ポスター、同時代の装飾品など、約220点の作品を通してビアズリーの芸術を展覧する「異端の奇才——ビアズリー」展が開幕した。

一向に衰えないビアズリー人気

 持病の肺結核が悪化してわずか25歳で夭折。画家として表舞台で活躍した期間は5年程度しかない。だが、オーブリー・ビアズリー(1872-1898)が残した作品が放つ輝きは、一向にかすむ気配がない。今も圧倒的な妖しさをたたえて、見る者を惹きつけている。

 ビアズリーの作品が受け継がれるべきものであることは、没後127年が経過した日本で大回顧展「異端の奇才——ビアズリー」展が開催されることからも明らか。ビアズリー人気は一過性のブームではなかったと、時の精査が証明している。

「ビアズリー展」展示風景。左から、フレデリック・エヴァンズ《オーブリー・ビアズリーの肖像——両手をそえた横顔》1894年頃 プラチナ・プリント、フレデリック・エヴァンズ《オーブリー・ビアズリーの肖像——横顔》1894年頃 フォトグラヴュール ともにヴィクトリア・アンド・アルバート博物館 

 オーブリー・ビアズリーは1872年、英国ブライトンで生まれた。家計を支えるために16歳から事務員として働き、夜はロウソクの光をたよりに絵を描き続けた。精緻な線描、そして大胆な白と黒の色面からなる独特な画風は、健康的とはいえない制作環境の影響を受けて生まれたといわれている。

 世紀末の退廃感や妖気を孕んだ幻想的な絵。ビアズリーの作品はラファエル前派の画家エドワード・バーン=ジョーンズに絶賛され、編集者たちの目に留まる。彼らは本の挿絵を安く発注できる画家、いわば「金のかからないバーン=ジョーンズ」を探していた。そのお眼鏡にかなったビアズリーは本の挿絵を手がけるようになり、芸術雑誌『ステューディオ』創刊号では「新進の挿絵画家」としてビアズリーの特集が組まれた。

 ビアズリーの人気を決定づけたのは、オスカー・ワイルド著『サロメ』英訳版の挿画だろう。背徳の世界を妖艶に描き、世界に衝撃を与えた問題作。人々はワイルドの物語とビアズリーの挿絵が絶妙に絡み合った、淫靡な世界に夢中になった。そんなスキャンダラスな一冊とはつゆ知らず、海外文学の名作のひとつとして、思春期にうっかり手に取ってしまったという人もいるのでは。記者もそのひとりだが、衝撃の記憶は今も残っている。