
遊女は男心の機微を覚る
房中の口舌、思わせぶりといった、いわゆる「ふり」をつけるなどして、遊女は客を虜にした。
遊里の俗諺に「客を狸、女郎を狐」がある。それは互いに化かし合うという由来からである。
男と女の関係を大別すると、恋愛以上の段階においては、「愛戯」と「秘戯」に分類できる。
女が真意を訴えるまで、経過時間を要する。その常態を「愛戯」と称する。
性愛秘戯のことに触れるとき、その主体となるのは「交会」である。
交会は、人間の性欲本能充足の行為で、種族保存という重要な意義を持つ。
閨房の相手を悦ばせる一つに、秘戯技巧がある。
秘戯技巧は行房に関する姿態御法のことであり、いわゆる態位その他の方法についての工夫を指す。
態位には基本的な形態のほかにも、様々な変化があって、それを、「曲取」、または、「曲戯」と称する。
この変形曲戯が、ほかから聞いて、教えられて起こることもあり、自然に派生することもある。
手慣れた手段方法で商売女が情事に関する手練手管を、「あの手この手」をいう。
それは、愛情や煽情から房事秘戯に至るまで、様々な場合がある。
閨房の現場において、多くの男に接し、
一般の男性心理の弱点をよく心得ることで、巧みな取り扱いで、男の気を惹き、魅力的な艶姿艶情で気を持たせて、相手を秘戯技巧で悦ばせ、遊びの金品を費わせたり、たびたび女のもとに通わせたりするように仕向ける。
手練手管とは、そうした意味で男の急所や弱点をよく知り尽くした上での技巧的態度である。
「曲(きく)」とは何か
行房における姿態御法、つまり交接にまつわる態位や方法の工夫だが、我々が初めて知り得たと思うような姿態も、実はすでに何千年も以前から世界中で行われていたことが、古文書や遺跡のレリーフなどに残されており、そうした欲求は古今東西、古くから存在する。
我が国の交接における秘戯は四十八手というが、必ずしもそのバリエーションは四十八手に限られたものではなく、俗にいわれる総数は50種以上に及んでいる。
遊里では稼業の手練手管として「房技」、つまり、いかに客を昇天させるかが重要視された。
房戯や房技の種類にも様々あるが、 クライマックスを迎える際には、肉体的な性的技巧だけでなく、さらに真情が伴う「妙陰」、「妙接」を感じさせることで男を喜ばせる。
そこで、満足感が後を引き、馴染を重ねることとなり、あるいは妓が労することなく早く務めを果たすことになるのだった。
かかる妓を、通言では、「床達者」、「床上手」と称し「曲(きく)のある妓」と賞された。
客をあしらう手管
『部屋三味線』に「今では床よしでなくては流行りません」と唄われているが、遊女が売れっ妓となる条件に、「一は顔」、「二に床」、「三に手」を挙げている。
第一が美人であること、第二は床の良いこと、第三が手管というのである。
この手管は意地や張り、達引、その他、口説などを指している。
遊里におけるこの種の手練手管のことをいろいろ記している書物を俗に「わけ本」という。
「わけ」とは色事を指し、古語で「訳をたつる」といえば「埒をあける」と同義で男女の交わりを意味する。
そこで吉原などの遊里、色ざとを「わけざと」と称した。
江戸の閨房術指南書『おさめかまいじょう』に、「商いはんじょうは、一に、男衆を歓ばすことに尽きるなり。然れども、その基は、おなごをして、いろいろ習わしめ、丈夫に長持ちさせるに尽きるなり」とある。
『おさめかまいじょう』には、遊女の健康維持のため、普段の養生から、交接にて男を籠絡する秘技、さらには遊客の放埒な要求に、いかに応じるか、具体的に書かれている。
たとえば、巨根を受け入れる心得や、勃起不全でも射精させる法。包茎の扱い方。肛門性交を受ける時の技法など、現代でも取り入れられている性行為のほとんどが網羅されている。
客をあしらう技巧は、客席に出る前の見習いの遊女・新造の時より、種々な床の作法など、閨房における手練手管は、遣り手婆や姉女郎など経験者から、かくも隠すことなく訓えられた。
妓の房戯にも秘部である肉壺の「開縮」、喜悦(よがり)などで、男は女が喜悦することで自分も満足する男性心情に働きかける「鳴技」などの秘が行なわれた。
遣手は遊女上がりの老女だけに、憚ることなく懐紙の使用方法まで微にいり細をうがって教授したのは、客を昇天させる房事の秘技という稼業では、性的技巧だけではなく、真情や風情こそが重要であり、それこそが殿方に愉悦をもたらす心得であったことによる。