西の丸の爺
延享2年(1745)11月、吉宗は隠居して大御所となり、徳川家重が九代将軍の座に就いた。
翌延享3年(1746)、武元は西丸老中に抜擢され、家重の継嗣・眞島秀和が演じる徳川家治(のちの十代将軍)の教育係を務めた(大石愼三郎『田沼意次の時代』)。
家治は武元を、「西の丸の爺」と呼んで慕ったという。
この年、武元は棚倉から館林に転封となり、9月に入封している。ようやく館林に戻ることができたのだ。
延享4年(1747)には、本丸老中の座についている。
宝暦10年(1760)、徳川家重は将軍職を継嗣・徳川家治に譲った。
家治は将軍職を継いだ翌日、武元に「私は年若く、国家の事に習熟していない。もし、私に過ちがあれば、必ず糺し、戒めよ」と告げたという(「浚明院殿御実紀付録」黒板勝美編『新訂増補 国史大系 第47巻』所収)。
家治は武元を、心から信頼し、頼りにしていたのだろう。