任期、歴代最長

 宝暦12年(1762)、武元は勝手掛老中に任じられる。

 勝手掛老中とは、江戸幕府において、財政・農政を専管とする老中のことである。

 五代将軍・徳川綱吉の治世下である延宝8年(1680)に始まったが、常置されるようになったのは、武元が任じられてからだいう。

 大変な激務で、任期は5年未満が多いが、武元は16年8カ月も務めた。もちろん、歴代最長である。

 明和6年(1769)には加増されて、6万1000石となる。

 一方、田沼意次は安永元年(1772)1月、正式に老中の座についたが、武元に敬意を表し、武元が生きている間は、幕政を我が物にすることはなかったという。意次が後世に語られるような権勢を振るうのは、武元がこの世を去ってからである(以上、大石学『徳川将軍事典』)。

 老中在職のまま死去

 安永6年(1777)3月、武元は病に罹り、良くならないので、老中を辞したいと願い出たが、許されなかったという(群馬県邑楽郡館林町編『館林人物誌』)。

 武元は安永8年(1779)7月25日、老中在職のまま、この世を去った。

 享年67。

 吉宗、家重、家治と三代の将軍に仕え、33年もの間、老中の地位にあった。その権威は最期の瞬間まで、衰えなかったと伝えられる。