初代を11歳で亡くした富本豊志太夫(午之助)の才能
そんな流れで蔦重は無事にミッションをやり遂げることになったが、富本流について、背景を知りたい視聴者もいたことだろう。
ドラマでは、午之助の人気に嫉妬したほかの流派から邪魔されて、襲名がなかなか決まらないと、三味線方の名見崎徳治(なみざき とくじ)が鱗形屋孫兵衛(うろこがたや まごべえ)に説明。「初代さえ生きてりゃなあ」と愚痴をこぼす場面があった。
この初代というのは、富本豊前掾(ぶぜんのじょう)のことだ。豊前掾は、浄瑠璃の中でも、重厚な時代物を得意とした「常磐津節(ときわずぶし)」から独立。「富本豊志太夫」と名乗り、寛延元(1748)年に富本節を立ち上げた。

独立してから劇場初出演を果たすまで4年の月日が経っているのは、相方となる三味線奏者を探すのに時間がかかったからではないか、とも言われている。初代ならではの苦労だが、明和元(1764)年に、豊前掾は49歳で他界。今回のドラマで登場した午之助が、父の後を継ぐこととなった。
だが、当時まだ午之助は10~11歳だったため、周囲がサポートを行っている。ドラマで徳治が「富本の火を消さねえように、おいらがちっちぇえ太夫に教えてよ」というセリフが出てくるのはそのためだ。
周囲としても、午之助の美声を聴けば、おのずと応援する気持ちになったに違いない。2代目豊前太夫(ぶぜんだゆう)の活躍によって、富本節が大流行することとなった。
ドラマでは、ほかの流派が午之助の襲名を邪魔しているという設定で、終盤では花魁の瀬川を身請けした鳥山検校(とりやま けんぎょう)が動いて、そんな障壁も取っ払われることとなった。
史実においても、安永6(1777)年1月、23歳のときに2代目豊前太夫を襲名している。そこに至るまでのストーリーを見せ場として使ったのは、シナリオの妙と言えるだろう。
午之助が「俄」に参加してくれることになり、無事にミッションをクリアした蔦重。こんなこともお願いしている。
「一つだけ願いがございます。太夫の直伝を私にいただけませんか。お願いします!」
実際に蔦重は、富本節の音曲の詞章(ししょう)を記した「正本(しょうほん)」や、練習用に節付をした稽古本を刊行。富本節を自分でもやってみたいという多くの読者を喜ばせることになる。午之助は蔦重が躍進するキーマンの一人となった。
次回は「俄(にわか)なる『明月余情(めいげつよじょう)』」。戯作者・朋誠堂喜三二(ほうせいどう きさんじ)がクローズアップされることになりそうだ。
【参考文献】
『人形浄瑠璃史研究 人形浄瑠璃三百年史』(若月保治著、桜井書店)
『江戸豊後浄瑠璃史』(岩沙慎一著、くろしお出版)
『江戸の色町 遊女と吉原の歴史 江戸文化から見た吉原と遊女の生活』(安藤優一郎著、カンゼン)
『図説 吉原遊郭のすべて』(エディキューブ編集、双葉社)
『蔦屋重三郎』(鈴木俊幸著、平凡社新書)
『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(鈴木俊幸監修、平凡社)
『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(倉本初夫著、れんが書房新社)
【真山知幸(まやま・ともゆき)】
著述家、偉人研究家。1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年より独立。偉人や名言の研究を行い、『偉人名言迷言事典』『泣ける日本史』『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたか?』など著作50冊以上。『ざんねんな偉人伝』『ざんねんな歴史人物』は計20万部を突破しベストセラーとなった。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義、宮崎大学公開講座などでの講師活動も行う。徳川慶喜や渋沢栄一をテーマにした連載で「東洋経済オンラインアワード2021」のニューウェーブ賞を受賞。最新刊は『偉人メシ伝』『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』『日本史の13人の怖いお母さん』『文豪が愛した文豪』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』『賢者に学ぶ、「心が折れない」生き方』『「神回答大全」人生のピンチを乗り切る著名人の最強アンサー』など。