アメリカで毀損された「コモングッド」とは

 邦訳も豊富で、1990年代のIT企業とビジネスの台頭、いわゆる「ニュー・エコノミー」の時代を見据えて、従来の産業で重視されたスキルとは異なる情報処理能力をもった「シンボリック・アナリスト」による生産性向上の必要性を説く『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』などは日本でもよく読まれた。

 その一方で、日本の低生産性は現在に至るまで社会経済的課題であり続けているから、ライシュの指摘を活かすことはできなかったのかもしれない。

 そのライシュは本書で「なぜ、アメリカにおいて、『コモングッド』が毀損されたのか」を問う。

「コモングッド」とはなにか。

 ライシュはこう書いている。

「コモングッド」は、かつてこの国で広く受け入れられ、理解もされてきた。もとより合衆国憲法は、「われら人民」の「一般の福祉を増進」するために制定されたのであって、「身勝手な輩が自らの富と権力を増進」するためのものではない。一九三〇年代の世界恐慌や第二次世界大戦時、アメリカ国民はコモングッドを守るべく団結し、「共通の危機」に立ち向かった。そのコモングッドとはフランクリン・ルーズベルト大統領の「四つの自由」に明示されている。すなわち、「言論の自由」「信教の自由」「欠乏からの自由」「恐怖からの自由」である。(前掲書p.8より引用)

 ライシュはコモングッドが危機に晒されていると警鐘を鳴らす。コモングッドは市民が自ら鍛えるべき産物であると同時に、教育を通じて「コモングッドの感覚」を養うべきだという。

 日本でも肯定されがちな「いい仕事に就くための自己投資」としての教育を否定しながら、教育を「国家を賢明に統治する能力を育成するという公共善」とみなす。

 そして民主主義は「教養ある大衆」を前提としているとして、根本原理であるという。アメリカにおけるプラグマティズムの影響を受けているものと思われる。

 なお合衆国憲法への回帰やプラグマティズムからの批判といった議論自体はそれほど目新しいものではない。新刊『少数派の横暴』(新潮社、2024年)も注目される政治学者のスティーブン・レビツキーとダニエル・ジブラットは『民主主義の死に方』(新潮社、2018年)において「柔らかいガードレール」が損なわれていると指摘した。それはそもそも二大政党制による討論以前の異なる意見を持つものを尊重する慣習といった基礎的前提のことである。

 それでは、こうしたコモングッドの毀損はトランプ誕生が原因なのだろうか。

 詳細は本書を読んでみてほしいがライシュは否という。

 むしろライシュはオバマ政権に厳しい批判の目を向ける。オバマ政権の当初2年間は上院下院ともに民主党が多数派を占めていた。そのため対立する共和党の支持を取り付けることなく法案を成立させることができた。

トランプ大統領就任式に出席するオバマ元大統領(中央右、写真:Pool/ABACA/共同通信イメージズ)

 その政治環境の下で、共和党の協力を取り付けることなく2010年にオバマケアを成立させたのはオバマ政権であった。態度を硬化させた共和党は2011年に下院多数派、2015年に上院多数派を握り、オバマ政権の政策のほぼすべてに反対した。

 オバマは大統領令を使い、立法を回避して環境規制やトランスジェンダーのトイレ利用、気候変動のパリ協定への参加を決めた。

 ライシュは、リベラル派は「共和党の障害物」を避けてコモングッドをめざしたのだろうが、権力分立や民主的な協議という「より大きなコモングッド」を傷つけたと分析する。

 トランプ政権はこの党派対立をいっそう加速させたというのがライシュの見立てである。その後、対立の波紋は冒頭述べたように世界に深刻な影響を与え続けている。

 分析の秀逸さに対して、ライシュの「解決策」はいささか心もとないものにとどまる。

 経験教育を含む市民教育というのである。