警察庁と警視庁による事件前日の会合

──地下鉄サリン事件が発生する前日の3月19日に、22日にオウムの教団施設の一斉捜索を開始する可能性を議論していたと書かれています。

垣見:その段階では、22日に一斉捜索を行おうという方向で話が固まっていました。防衛庁から防護服を借り、警官がそれを装着する訓練もしていました。

 もっとも、山梨の上九一色村の教団施設と、都内の様々な施設を一斉に本格的に捜索するかどうかは、警視庁と警察庁の間で意見が分かれました。

 警視庁では都内のオウム教団施設だけでも早期に捜索を実施したいとの考えを持っていましたが、警察庁では、捜索を実施するのであれば、山梨県下の上九一色村に所在するオウム教団施設も併せて実施したいとの考えをもっていました。

 ただ、山梨県下の上九一色村のオウム教団施設を捜索するには態勢を整える必要があります。場所を調べ、ルートを明らかにするなど、そのための準備期間が必要でした。

 この時には、先に東京都内の施設を捜索し、次に上九一色村の施設を捜索するという二段階に分ける案も出ました。「捜索して教団が抵抗するようなら、態勢を整えて出直そう」という意見もありました。

 加えて、この年は統一地方選挙があり、3月、4月には、警察はそちらの体制も整えなければなりません。その直前に、本当に一斉捜索ができるのかという迷いもありました。そこで、警察庁と警視庁の幹部で3月19日(日)に話し合ったのです。

──地下鉄サリン事件が発生した日のことについて書かれています。垣見さんはその日、どのような一日を過ごされたのでしょうか?

垣見:19日の会議の結果を警察庁幹部と相談し、最終的な方針を決めなければなりませんでしたから、その日はいつもより少し早めの7時40分ごろに家を出ました。当時、私は車ではなく地下鉄で通勤したので、8時20分頃に霞ケ関駅に到着しました。

 到着した時には、地下鉄の駅構内は騒然としていました。「早く駅から出てください」というアナウンスが放送されており、駅から出ると、通りには消防車や救急車が並んでいました。

──オウムの信者たちがサリン入りのビニール袋を、5本の異なる地下鉄の路線の電車の中で一斉に突き破ったのが午前8時ですから、まさにその直後ですね。

垣見:そうですね。私の乗った地下鉄は、なんとか霞ケ関駅までは辿り着きましたが、おそらく、その後は運行中止になったと思います。