警察大校長の職を辞して弁護士になった理由
──6月に國松長官が復帰し、9月に垣見さんは警察大校長へ異動の内示を受けます。
垣見:その段階では、教祖の麻原も逮捕されて、ひと段落というタイミングではありましたが、前述のVXガスの事件を含め、捜査は続いていましたから「この時期に異動か」と思いました。自分としては精いっぱいやったつもりでしたが「そういう評価をされたのか」と感じましたね。
──翌年には、警察大校長の職を辞して、弁護士を目指して司法修習生になったと書かれています。この時53歳です。どんなお気持ちだったのでしょうか?
垣見:私も警察庁の人事課長をしていたこともありましたから、人事の流れというものをある程度は分かっていたつもりです。そろそろ退職を考えざるを得ないとは思っていました。しかし、まだ53歳です。10年や20年はまだ働けると考え、思い切って違う道を目指すことにしました。
学生時代によく使っていた大学の図書館の入館証を入手し、しばらくは勉強の日々でした。司法修習生時代の給料は警察庁にいたころより大幅に減りましたし、研修も大変でした。周りはみんな二十代、三十代だし、学生時代の同級生の子どもたちが同期生という状況でした。
辛かったのは、パソコンを使わなければならなかったことです。
警察庁にいた頃は周りの方々がやってくれたので、自分でパソコンを使って資料作りをする必要はなかったのですが、修習生になったらすべて自分でやらなければならない。宿題をようやく完成したと思ったら資料をどこに保存したのか分からなくなり、焦りながら白々と夜が明けていくなんてこともありました。
弁護士事務所に所属して4年くらい経ち、ようやく仕事が一通りできるようになったというタイミングで、研修所の同期生の人と一緒に事務所を作りました。
──いい仲間ができたのですね。
垣見:そうです。今も一緒に働いています。
垣見隆(かきみ・たかし)
弁護士
1942(昭和17)年12月、静岡県浜松市生まれ。1965年、東京大学法学部卒業後、警察庁入庁。警視庁神田警察署長、福井県警察本部長、警察庁刑事局長、警察大学校長などを経て、1996(平成8)年、警察庁退職。1999年、弁護士登録。現在、第一東京弁護士会所属弁護士。
長野光(ながの・ひかる)
ビデオジャーナリスト
高校卒業後に渡米、米ラトガーズ大学卒業(専攻は美術)。芸術家のアシスタント、テレビ番組制作会社、日経BPニューヨーク支局記者、市場調査会社などを経て独立。JBpressの動画シリーズ「Straight Talk」リポーター。YouTubeチャンネル「著者が語る」を運営し、本の著者にインタビューしている。