オウム真理教の教祖・麻原彰晃(写真:AP/アフロ)

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 坂本弁護士一家殺害事件が発生してから、もうすぐ33年になる。

 1989年11月4日午前3時過ぎ、オウム真理教の信者6人が横浜市磯子区のアパートに押し込み、就寝中の坂本堤弁護士(当時33歳)と妻の都子さん(当時29歳)、それに1歳2カ月だった長男の龍彦ちゃんを殺害して、遺体をそれぞれ新潟、富山、長野の山中に埋めて遺棄した。

 年号で言えば、平成元年に起きた事件。遠ざかる記憶を呼び覚ますためにも、少し事件を振り返ってみる。

週刊誌編集長を襲撃する計画だったが……

 その年の8月にオウム真理教は宗教法人として認証された。ところが、その一方で親との縁を切ることを条件に教団に出家してしまった子どもたちや、高額なお布施を請求する「イニシエーション」(宗教儀式)などを巡るトラブルが相次ぐ。

 同年10月から週刊誌が「オウム真理教の狂気」と題する追及キャンペーンを開始すると、同時期に「オウム被害者の会」が発足し、その顧問に坂本堤弁護士が就いた。

 反響は大きく、テレビのワイドショーでも取り上げられるようになる。認証から1年以内であれば、宗教法人として要件を満たしてないとして、認証が取り消されることもある。

 事件前日の深夜。教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)は、教団幹部だった村井秀夫、早川紀代秀、岡崎一明、新實智光、それに出家したばかりの医師だった中川智正を静岡県の富士山の麓にあった教団施設の一室に集める。そこで当初は週刊誌の編集長を襲うことが話し合われた。