「オウムにやられた」
垣見:執務室に入ったら、次々と情報が入ってきました。地下鉄各所で事件が起きていました。最初ははっきりしたことは分かりませんでしたが、テレビでは毒物が撒かれた話などが報じられていました。最初は違う薬品の名前も出ていましたが、午前10時ごろに「どうもサリンが撒かれたらしい」という情報が上がってきました。
このタイミングですからね。「オウムにやられた」と思いました。その辺りまでは、ある程度記憶しているのですが、先制攻撃をされたショックもあるのかもしれません。その後、どのように業務に取り組んでいたのか、まったく思い出せません。
ただ、これはその時か、その前後か定かではありませんが、私が「オウムの件は警察だけでは支えきれません」と思わず弱音を吐いたのを國松長官が聞いて、「そんなこと言わないで、しっかりやれ」とたしなめられた記憶があります。
──3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、22日に上九一色村の教団施設も含めて一斉捜索がありました。ところが、なんと30日には國松警察庁長官狙撃事件が発生します。
垣見:私は20日までは地下鉄で通勤していましたが、さすがにその後は公用車に切り替えました。当時はまだ携帯電話の時代ではありませんでしたが、車での通勤途中に車載電話に電話がかかってきて、長官が撃たれたことを知りました。
とても驚いて慌てて容態を確認しました。その段階では、これはオウム教団の関与した事件だと思いました。22日に一斉捜索をして、教団の拠点施設からいろいろな証拠が出て、オウム教団の危険性や凶暴性はその時点では明らかになりつつある時でしたから。

地下鉄サリン事件が発生してから、警察庁幹部に対しては警戒態勢が強化されました。私の自宅にも、警察による見回り体制ができて、防犯設備の設置なども求められました。ところが、そうなってからのある日、朝ポストにオウム教団の宣伝ビラが入っていたことがあったのです。
──えっ、垣見さんのご自宅のポストに?
垣見:そうです。驚きました。地元警察に聞いても不審な者は確認されていませんでした。後から分かったのですが、私の家だけに入れられただけではなく、周辺の家々のポストに同じようなビラが入っていました。警備を増すといっても、常時きちんと見張ることができるわけではないとよく分かりました。
そこで、警察庁の近くの公務員宿舎に一時的に転居することにして、手続きを進めている最中に長官の狙撃事件が起きました。やはり、警察庁長官という大黒柱がこのような形で襲撃されたので、大変な衝撃でしたね。