古希を過ぎた経営陣が全員揃って、今年、米寿を迎える、オーナーでも大株主でもない人物をひたすらかばおうとする様は、一種異様な印象を受けました。これが日本社会が抱える宿痾というものなのかと。
こうした問題は、企業のガバナンスの問題としていろいろなところで議論されていますので、ここで繰り返し解説することはしません。私がここで問いたいのは、フジテレビの社員は「どう生きるか?」ということについてです。
本件が問題になって以降、フジテレビの1100人の従業員の中でわずか80人だった組合員が、あっという間に半数近くに達したという報道がなされました。このままだと会社が危ないという危機感と防衛本能のなせる技だと思います。
「大好きな会社」「大好きな仲間」とアナウンサーは語ったが…
アナウンサーの中には、番組中で涙ながらに「13年働いてきて1度も辞めたいって思ったことない」「大好きな会社で先輩も後輩も含めて、大好きな仲間」と語った方もいました。その真摯な気持ちを否定するつもりは毛頭ありませんが、企業人にとっての会社とは何なのでしょうか。
ドイツの社会学者テンニースが提唱した組織の概念に、ゲマインシャフトとゲゼルシャフトがあります。堺屋太一は『組織の盛衰』の中で、これを「共同体組織」と「機能体組織」と訳しています。
前者は血縁や地縁など自然発生的なつながりを基盤とし、構成員の結束や満足感を重視する一方、後者は特定の目的達成のために人材や資源を集め、効率性や役割分担を重視します。日本の「カイシャ」が「村社会」というゲマインシャフトであることはよく知られています。
ゲマインシャフトの特徴は、組織の存続自体がその組織の目的になっていることです。フジテレビを取り巻く問題が社会的にどう評価されるべきなのか、フジテレビを取り巻くステークホルダー、特に人権の観点から被害者とされる女性の利益はどう保護されるべきなのか、フジテレビの企業体としてのあるべき姿とは何なのかという基本的なところを押さえる前に、構成員が「カイシャ」のことだけを考えてしまうのであれば、その組織はゲマインシャフトなのだと思います。
それではそもそも会社とは一体何なのでしょうか。