客が自分の居場所にしたい店
手にする、極薄手の中に五円玉のようなものが貼られた盃は見覚えがあり、私がよく顔を出す京都の古道具屋で見たが高価で買えなかったと話すと、京都の名割烹「瓢亭」で使っていたもので、ここの常連さんに頂いたとか。その方は岡山の旧家のお嬢様でいま近くに住み、古いものをよく持ってきてくれる。カウンターの小さなメモ紙「目玉焼はじめました」は、その方から、花嫁道具で押入れにしまったまま一度も使っていない目玉焼専用の蓋つき土鍋五客をいただいたので始めたそうだ。玉子一個を割り落とし、蓋で余熱をかけ、塩ぱらりだけだがおいしいそうだ。

正月に合わせて飾る鼠小僧次郎吉の珍しい羽子板も客が持ってきたものだそうだ。客が何か持って来る店は信用の証しで、自分の居場所にしたいのだ。
古い柱時計がコチコチとかすかな音を刻む。天井を取った古色蒼然たる梁の古民家を、遠慮なく白木材で使い易くしているのがむしろ気持ちよい。

大野さんは月島に物件を探していて、地元の大家さんが店舗用に改造したのを一目で気に入った。その不動産は月島がタワーマンション化してゆくのを嘆き、日陰になってしまった民家を次々に手に入れて店舗化させ、月島の良さを残そうとしているという。すばらしいことだ。
「沿露目」「一村」に続く三軒めのここ「蛮殻」は、自分が住む家とイメージ。一階は通りがかりの人が気楽に入れる玄関立ち飲みで、同じ白バーコートの若手三人が立ち、脇の階段を上がった二階は大野さん一人の「ぼくの部屋」とした。

「屋根裏のぼくの部屋だから安普請です」と笑うが、そこに飾る絵は、夜の砂漠で眠る人にライオンが忍び寄るアンリ・ルソーの「ライオンの食卓」、作者は知らないが満月の夜の木立にピエロが立つ幻想的な絵もすばらしい。

一階に飾る泉鏡花の小説挿絵のような風俗画、明治の日本画家・鰭崎英朋の一枚「香汗淋漓」にも目を見張った。この美的センスは全く私と合う。門前仲町富岡八幡宮の日曜骨董市にはよく出かけ、食器や絵など古い物を買うそうで、私もそこで絵を買ったことがあり話がはずむ。

「十五年前、松本で太田さんに会ってるんですよ」
「え?」
将来は居酒屋をやろうと辻調理学校に通いながら全国の店を回っていたころ、松本の川沿いの民芸喫茶「まるも」で見かけたとか。へえ……。
すでに徳利四本になったがまだ帰りたくない。「天遊琳特別純米」にして出された黒錫の徳利はどこで手に入れたかすばらしく、〈自家製イカ塩辛〉をちょこんと盛った高坏もまた。

黙って盃を重ね、私はつくづく思った。ここは大野さんの理想が実現している。店の場所は、探してたどりついた喜びが生まれるからわかりにくくてよい。そこで丁寧な仕事と居心地を用意して待っている。それはわが人生の最高の居場所だ。俗な言い方だが、いま東京で最もトレンディにススんでいるのはここだろう。
大野さんは店を持つのはこれで打ち止めにするそうだ。
「今後は何を?」
「……居酒屋映画祭、とか」
「いい! これからは居酒屋を文化にする活動だ」
得たりと膝を叩いたのでした。
「酒房 蛮殻」
住所:東京都中央区月島1-25-7
TEL:03-5859-5363
営業時間:平日17時~23時(L.O.22時) 土曜・祝日16時~23時(L.O.22:00)
定休日:不定休(Instagramにてご確認ください)
※予約は電話または食べログにて
https://www.instagram.com/bankara_tsukishima/
(編集協力:春燈社 小西眞由美)