(太田 和彦:デザイナー・作家)
日本全国を訪ね歩き、「いい酒いい人いい肴」
まずはビールと小鉢六品
およそ四十年も前、銀座に勤めていた私が思いつきで入った月島の「岸田屋」で居酒屋の魅力を知り、以降そういう本を何十冊も書くようになった月島は、私にとって居酒屋の聖地だ。今日も岸田屋の外には待つ人のための椅子が並び、昔のままのコの字カウンターは満員だ。その左路地から道一本抜けた右がこのところ通っている居酒屋「食堂 ユの木」だ。
「いらっしゃい、どうぞこちらへ」
予約して箸を置かれていたのはL字カウンター一番奥、主人の仕事場のすぐ前。
当店最大の名物が小盆に小鉢六品の〈本日の突出し〉。これがあるから注文はあわてず酒だけ頼んで待てばよい。ビールは小瓶が〈キリンクラシックラガー〉、中瓶が〈サッポロ赤星〉。小瓶で待つことしばし。盆が届き「左から……」と説明が。さあ開始。
まずは温かいものから。〈あんこうと冬野菜の煮浸し〉のおつゆをスー……。ああもううまい。鮟鱇で冬到来を実感、青野菜にまじる極薄切り椎茸が仕事をし「かんずり(新潟で厳寒の野外にさらして作る赤唐辛子薬味)」が引き締める。
これも温かいうちにと〈栗のすり流し〉は、おつゆ表面の被膜で濃厚さがわかり、栗の香り、コクを匙で一気に。ここでビールを残したまま酒に替えよう。
酒は〈だいたいすっきり・だいたいやさしい・だいたいしっかり・だいたいくせあり〉に分けて三、四銘柄ずつそろう。では〈だいたいすっきり〉から、
「会津中将をお燗で」
「はい」と答えたのは黒短髪に黒シャツの娘さん。一升瓶から「正一合」とある徳利に注ぎ、錫ちろりに移し替え、湯に浸けて温度計を差した。待つことしばし。
ツイー……。
うーむ、初冬にぴたりの適温。では酒に合う品を。
〈巻き海老と芹、ゴマ酢和え〉は紅白の背を丸めて太った小海老のぷりぷり、添えた青芹にのせたゴマの香りは燗酒にぴたり。熱すぎずぬるすぎず温度を保つのは、ゆっくり燗したからだ。
次は〈白子の菊の花三杯酢ジュレ〉。出始めた鱈の白子はまだ幼く、かすかに酢をきかせた菊の花が味を応援し,全体をオリーブオイルでコクをつけている。
このへんで味を変えようと箸を伸ばした〈柿なます〉は、薄切りしたほの甘い柿が口をフレッシュに。柿は日本酒に合う。さて最後は〈半熟イクラの飯蒸し〉。説明された半熟イクラは大粒イクラを温度九十度ほどで時間をかけて温泉卵のようにしておくという手間をかけたもので、一粒つまむだけでも濃厚さを増した味がわかり、もち米を炊き込んだご飯にのせたもっちり老獪な味わいは最高のミニいくら丼だ。
以上三十分。ぜいたくの第一部が終わった。