確立されるべきネットワークの法理と倫理
今井准教授と私で行っている「医療AI」の講義、先週は「医療倫理とAI倫理」がテーマでした。
一通り専門的な話が今井君からあった後、「そもそも論ではあるけれど・・・」としながら「倫理って、何?」と、履修しているすべての学生(大学院科目ですが学部生ものぞきに来ていました)一人ひとりに尋ねたのですが・・・。
どうも、はかばかしい答えがない。
「人間として、基本的などーたら こーたら・・・」
いや、間違いとは言いませんよ。でも、それでは実効性がない。
医療やAIの「倫理」とは「法理」が確立される周辺にある、法的に白黒のつけにくい問題を扱う専門分野であると正確に定義して、大学院レベルの専門の議論が初めて1の1の出発点に立ちます。
例えば、「映倫カット」というのがありますね。
暴力描写や性描写などについて、一般財団法人映画倫理機構が審査を行っています。
なぜ「映画倫理機構」なのでしょうか?
それは、憲法の定めによって(第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する)、映画表現の内容に対して官憲が直接GOあるいはNOを出すことが困難だからです。
本質的に「法理」になじまない議論は、適宜のコンソーシアムを設け、そこで主権者側が自律的にルールを作っていくのが望ましい・・・。
そういうことになっているのですが、今回のSNS誹謗中傷は、同様の「自浄作用」を期待して放置した結果が現在のこの惨状。あり得ません。
筆者は1980年代、いまだ冷戦期に素粒子・原子核実験の国際ネットワークから情報メディアのユーザーとなった化石のような世代に属します。
当時のネットはユーザーも限られ、アドレスから所属機関、個人の特定まで可能で、あらゆる「普通の社会ルール」がネットでも成立していました。
その名残で、大学内では、また大学のサーバから情報を公開する際には、すべてのコンテンツは実名発信、虚偽の内容を不特定多数に公開するような場合には「情報倫理」「研究倫理」のルールが厳密に適用され、アカウントが停止されて自動的に留年とか、最悪の場合は学籍を失う「放校処分」のケースもあります。
そういったリテラシーの1の1を、新入学生たちに講じてきました。
苛烈な受験競争を勝ち抜いて、せっかく合格したはずの東京大学。それが、アイドルのファン投票で「推しの子を応援するため」に、同級生アカウントのパスワードを多数盗んで重複投票がばれ放校処分、学籍を失ってさようなら・・・といった実例(本当にあった例)を話すと学生は背筋を凍らし、おかしな振る舞いをしなくなります。
そういう現場が長かった一情報教官として明記しますが、現状の、匿名前提のネット上で、悪意を持って虚偽の情報や誹謗中傷などを行う人間には、「現実社会と全く同様の」刑事責任が問われるよう、法の条文を適切に改める必要があるように思います。
今回の兵庫県知事選関連では、大本となるデマをばらまいた人間も最悪ですが、その「信者」らしき人々がデマを拡散、単なる「風評被害」では済まない竹内元県議のようなケースが発生してしまった。
かなり幅広に、厳罰をもって対処する姿勢を示さないと、情報社会の健常化は望めないように思われます。
第2次大戦後のドイツでは、元ナチスに対する責任訴求が徹底して行われました。
とりわけ「公職選挙法」に関連して、こうした「2次情報拡散」に加担した者に対しては、影響力の大きさに即した責任の訴求が、再発防止を考えるうえでは必須不可欠であるように思います。
末尾になりますが、竹内元県議のご冥福を心からお祈りして、本稿の筆をおきます。