政治的責任・道義的責任
さらにあきれ果てたのは、竹内元県議の訃報に際して行われた「斎藤元彦」兵庫県知事の記者会見、あまりのことに目を疑いました。
ことがここに及んでも、いまだ「SNS濫用」に対してシロクロ明確な発言がなく、自分の身に引きつけた謝罪がなかった。
この人に関連して、すでに県職員が2人命を失っているわけですが、3人目の犠牲者が出てしまった。
他人事ではなく、明らかに「斎藤元彦」という人物の挙動によって、今回の事態が引き起こされている。
なるほど、確かに斎藤元彦氏を元県議に対する「殺人容疑」で逮捕することはないでしょう。斎藤氏に「刑事責任」が問われることはありません。では「何の責任もない」のか?
政治的・道義的責任を負うべき県知事として、ど真ん中に立っているはずですが、すべて他人事のような「一般論」に終始した会見でした。
謝るということが一切見られなかった。いったいどこでどういう環境、どういう教育がこういう人材を育成してしまうのか?
東大生全般はここまでの惨状をまだ示してはいません。
来週以降の定例記者会見などでは「竹内県議の問題、知事として道義的責任を感じないのか?」といった質問に対して「道義的責任とは何か、分からない」などと発言するのでしょうか?
ネット選挙で票だけ集めたとしても、この人物は「政治家」の器ではありません。道義的責任という言葉の意味も分からないのですから。
少なくとも、斎藤元彦氏が兵庫県知事として、誹謗中傷などのメディア濫用に積極的な対策を講じなかったことで「見殺しにした」のは間違いなく、明らかに「政治的・道義的責任」を問われねばなりません。
こんな狂った政治状況の空気を一新するには、残念ですが法制度の改正、もっとはっきり言えば罰則の強化、刑事罰の導入しか策がないように思われます。