光速に近づくと、1秒が1秒でなくなる

野村:現在までに観測された重力を除くすべての現象は、特殊相対性理論で記述できます。したがって、特殊相対性理論が完全に破綻するということは起こり得ません。光よりも速く移動する物体があったとしても、それが与える影響は、特殊相対性理論がニュートン力学に与えた影響のような形で起こります。

 特殊相対性理論では、物体が光速に近い速度で移動するとき、その物体の時間がずれるという現象が起こります。

 光速の約90%で動く物体では、僕らにとっての1秒が0.44秒になります。光速の約50%の場合は、僕らにとっての1秒は0.87秒になります。つまり、ある人が光速に近い速度で移動していたとしたら、その人にとっての1年が、止まっている人の10年になったりするのです。

 けれども、僕らの日常の移動速度は、速くてもせいぜい時速数100km程度です。秒速にして100mもありません。光速の1000万分の1程度のオーダーです。

 ここまで速度が遅ければ、速度が時間に及ぼす影響はほぼ無視できるようになります。移動をしている人の1年は、止まっている人の1.00000000000001年に相当する、という具合になります。

 その0.00000000000001年はもはや誤差と考えていいですよね。この場合、移動する人と止まっている人の間には、同じ時間が流れている、とみなすことができるのです。

 そのような状況でものごとを考えるときには、特殊相対性理論は必要ありません。ニュートン力学で十分です。

 このように、アインシュタインが特殊相対性理論を発見したその日から、ニュートン力学がとつぜん破綻して使えなくなったのかと言うと、全くそんなことはありません。それまでニュートン力学で説明できていたところは、そのままニュートン力学で説明し続けても問題はありません。

 けれども、物体が光速に近い速度で移動するような極限状態では、ニュートン力学は現象を上手く説明できません。そんなときには、特殊相対性理論を使う必要がでてきます。

 現時点で、(重力現象を除けば)宇宙のあらゆるものが、特殊相対性理論に従って動いていることが確認されているということは先ほど説明しました。これは、光速に近い速度で動いていようが、ゆっくり動いていようが止まっていようが、共通しています。

 ただ、そのうち、特殊相対性理論で計算すると100になるはずなのに、実際に観測すると100.00000001になる、というような現象が発見されるかもしれません。100.00000001であれば0.00000001を誤差として切り捨てても問題ないかもしれません。

 けれども、もしこのようなずれが見つかったならば、通常はそのずれが大きくなっていくような状況、例えば100.1や101になっていく状況も存在すると考えられます。そして、そのような状況では、新しい理論を使うことが不可欠になってきます。

 ただ、そのときに完全に特殊相対性理論が破綻するかというと、そんなことはありません。ある特殊な状況下では、特殊相対性理論が使えないということがわかるだけです。

 そしてこれは、特殊相対性理論が発見された後に、ニュートン力学がたどった運命と変わりません。特殊相対性理論の発見により、物理学がニュートン以前に戻ったということではないのです。(続く)

野村泰紀(のむら・やすのり)
カリフォルニア大学バークレー校教授/バークレー理論物理学センター長
1975年、神奈川県生まれ。ローレンス・バークレー国立研究所上席研究員、東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構研究員、理化学研究所客員研究員を併任。主要な研究領域は素粒子物理学、量子重力理論、宇宙論。1996年、東京大学理学部物理学科卒業。2000年、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士。

関 瑶子(せき・ようこ)
早稲田大学大学院創造理工学研究科修士課程修了。素材メーカーの研究開発部門・営業企画部門、市場調査会社、外資系コンサルティング会社を経て独立。YouTubeチャンネル「著者が語る」の運営に参画中。