穏健な勢力と手を組みながら政治・軍事体制を整備
同2016年にシャラアたちはヌスラ戦線を解散して別組織に改編。さらに他の比較的穏健な勢力と連携して、翌2017年にHTSを結成した。
つまり、HTSはヌスラ戦線を母体としてはいるが、同組織から過激派を排除し、穏健化した組織として誕生したのだ。
これは時期的にはまさに、2014年から2016年にかけてシリア北部・東部でISが隆盛し、凄まじい人道犯罪を繰り広げた時期と一致する。非IS系戦闘員なら、いくらイスラム系ゲリラといってもまともな人権意識があれば、あれがイスラムの教えとは思わない。ISが大多数のシリア国民から嫌悪されていることも明白だ。
そこでHTSは結成後すぐに、イスラム強硬派というイメージからの脱却を始めている。なお、当時は同じ地域に少数ながらアルカイダを支持するような勢力もいて、2018年に「フラス・アル・ディン」という組織を結成しているが、HTSとは最初から敵対関係にある。前述したように、HTSにとっては「シリアのアルカイダ」も敵なのだ。
なお、シリア紛争の犠牲者数を調査している「シリア人権ネットワーク」によると、2011年の紛争発生時から2024年6月までの集計で、HTSによる作戦で巻き添え被害に遭った民間人は549人になる。これはもちろん許されない戦争犯罪だが、同時期のアサド政権による20万1290人、ロシア軍による6969人、ISによる5058人、自由シリア軍およびシリア国民軍(親トルコ系)による4234人などよりずっと少ない。HTS自身はおそらく、自分たちは民間人の犠牲は回避してきたとの考えだろう。
シリア紛争は2015年のロシア軍参戦によりアサド政権が優勢となり、2018年までにHTSもほぼシリア北西部の狭いエリアに閉じ込められたが、HTSはイスラム過激派を排除し、比較的穏健な勢力と手を組みながら、政治・軍事体制を整備した。それでも組織内に強硬派人脈は残っており、体制整備の過程で反対派を封じるなど強圧的な手法が現場で行われたことはあり、住民の批判デモはたびたび起こっているが、武力鎮圧は行っていない。シャラアはその都度、強圧的な手法は改善しており、シリア北西部では約5年をかけて、穏健化のイメチェンは一貫して継続してきている。今回の作戦で即席イメチェンしたわけではないのだ。