ヌスラ戦線はなぜ「アルカイダ傘下組織である」と宣言したのか

 ヌスラ戦線は急成長を遂げたが、それを見て、「イラクのイスラム国」を率いるバグダディが声をかけてきた。自分たちの傘下に入れというのだ。バグダディはシリアで一定の勢力になったヌスラ戦線を配下に組み入れることで、「イラクのイスラム国」を「イラクとシャームのイスラム国」に拡大しようとしたのである(「シャーム」はシリア地方の昔の呼称。現在のシリアより広域)。

 シャラアたちは、自分がトップになって広大なイスラム国家を作るというバグダディの野心には興味はなかった。彼らはあくまでシリアでアサド独裁を打倒することが最優先だったからだ。そこでヌスラ戦線はバグダディの提案を拒否したのだが、それによって両者は対立した。つまり、HTSの母体であるヌスラ戦線は、最初からイスラム過激派組織「IS」とは敵対関係にある。

 しかし、その時、シャラアたちは困った。バグダディはイスラム国家の最高指導者を名乗っている。自称ではあるがそれなりに勢力はあり、求心力がある。それに比べてシャラアたちには正統性がない。何もしなければ、ヌスラ戦線から抜けてバグダディ側に入ろうとする戦闘員も出てくるだろう。

 そこでシャラアたちは、アルカイダに接触した。当初は仲裁の依頼だったが、当時、アルカイダのアイマン・ザワヒリとバグダディは、イスラム聖戦界の主導権をめぐってライバル関係にあった。ザワヒリはバグダディを批判してヌスラ戦線の側を全面支持。シャラアたちはザワヒリの公認を得て「アルカイダ傘下組織である」と公式に宣言したのだ。

 2013年のこのアルカイダ傘下宣言によって、米国などはテロ指定した。しかし、実態は、ヌスラ戦線がアルカイダの国際テロ・ネットワークに入ったわけではない。前述した「イラクのアルカイダ」の場合はまだ首領のザルカウィが若き日にアフガニスタンでゲリラ経験があり、アルカイダとも人脈があったが、ヌスラ戦線はアルカイダとは一切関係なかった。幹部要員も資金も武器のやり取りも一切なく、それこそ完全に名義借りのレベルだった。

 当時、ヌスラ戦線はアルカイダの受け売りのような過激な発言をしたこともあったが、彼らは一貫してアサド打倒が最優先であり、反欧米的なテロ行為をしたことはない。こうした距離感というのはシャラアたちも感じていたようで、2016年、シャラアたちはヌスラ戦線の内部からアルカイダ支持者などのイスラム強硬派を除名し、アルカイダとの接触を公式に断った。シャラアたちは今日までアサド打倒に約13年間戦ってきたが、アルカイダに名義借りしていたのはこの初期の3年間だけである。