◆設問◆「あなたはお布施の金額を明示する(される)ことに賛成ですか」
【僧侶向けアンケート】
はい 26.6%
いいえ 33.0%
どちらでもない 40.4%
【一般向けアンケート】
大賛成 21.6%
どちらかといえば賛成 47.1%
どちらでもない 20.2%
どちらかといえば反対 7.7%
断固として反対 3.4%
金額より大事な「寺檀の信頼関係」
僧侶の回答を見ると、意見が真っ二つに割れていることが窺える。僧侶は本来の布施の趣旨を理解しているはずである。だが、実際の葬送の現場では檀信徒から「お布施の金額を教えてほしい」と懇願されることが少なくない。僧侶が布施の原理原則を頑なに守って、金額の明示を拒絶した場合、トラブルも発生しかねない。
ある僧侶は言う。「(最初は)お気持ちで、と相手に委ねていましたが、本音を聞くと教えてもらったほうがありがたいという意見が圧倒的に多く、『目安として○〜○円です』と伝えています」
このような実情を裏付けるように、一般人の意見は、7割近くが布施金額を明示することに賛同している。反対は1割程度である。これは明示、非明示、どちらが正しいということではない。
ひとついえることは、僧侶は金銭の多寡にかかわらず、常に同じように葬儀を執行しなければならないということ。同時に葬儀や法事を依頼する側も、「節度」が必要だ。
大事なのは、お寺と檀家の間でコミュニケーションが図られ、信頼関係が構築できているかどうか。寺檀関係が崩壊していれば、すべてにおいて「不満」ということになるだろう。
布施の問題が昨今浮上してきているのは、社会構造の変化と、ネット社会が大きく影響している。戦後高度成長期、バブル期あたりまではまだ、日本にはイエやムラの概念が強く根付いていた。特に葬送儀礼は地域を挙げて行い、ほとんどの親族が関わった。そのため「布施の相場感」は暗黙知として分かっており、菩提寺に聞くまでもなかったのだ。
また、バブル期までは檀家が裕福であり、「世間体」も相まって菩提寺に多額の布施をすることが多かった。なかには「院号」「居士」「大姉」といった位の高い戒名を希望し、そこに多額の金銭が発生することも起きていた。戦後成熟期における資本の論理に、良くも悪くも日本の仏教界がどっぷり飲み込まれてしまったのだ。