若き日の稲盛氏が考えを改めた瞬間

 一方で、稲盛さんは、「強烈な情熱や闘争心は、限界を超えたら自分自身や部下、集団を破壊してしまう危険がある。だからこそ、心を高め、哲学を持つ必要がある」とも教えています。これは稲盛さんの若いときの経験をもとにした警告でもあります。

 稲盛さんは、最初に就職した松風工業で研究に打ち込み、素晴らしい実績を上げ、会社に多大な貢献をしました。しかし、最終的には、新任の上司から「君の能力ではこれまで」と担当から外されてしまいます。それは稲盛さんにとっては大きな屈辱であり、「なにくそ」という反骨心を生みました。

 そして、「絶対に見返してやろう」という気概を持って、7人の同志とともに「稲盛和夫の技術を世に問う」という見方によっては利己的とも言える思いで京セラを創業しました。創業メンバーも「その通りだ」と献身的に頑張ってくれました。

 稲盛さんの強烈な願望と創業のメンバーの懸命な努力により、創業直後から京セラの業績は順調に推移し、2年目には初めての定期採用で11名の高卒新入社員が入社します。稲盛さんは、彼らも当然自分たちの強烈な願望は理解してもらえると期待していましたが、実際は違いました。入社から1年が経過した頃「将来にわたって自分たちの生活を保障してほしい、それでなければ皆辞める」と言い出したのです。

 つまり、そのときの稲盛さんの強烈な願望は限界を超えており、組織を壊しそうになっていたのです。それに気が付いた稲盛さんは考えを改め、経営の目的を「稲盛和夫の技術を世に問う」から「全従業員の物心両面の幸せを追求する」に変えます。稲盛さんは、経営においては強烈な願望に加えて、利他的な経営哲学が不可欠だと体得したのです。

 それ以降、稲盛さんはこの経営理念をどんなことがあっても守ろうとし、京セラだけでなく、KDDIやJALでも貫きました。

 それが本気かどうか、疑い深いメディアの人は確認したかったのだろうと思います。あるテレビ局の取材の際、インタビュアーが「明日、会社が倒産するかもしれないという場面に遭遇した場合に、理念にはちょっと反することに手を出してしまうようなこともあるのではないか」と意地悪い質問をしました。

 取材に同席していた私は、ずいぶん失礼なことを聞くなと思っていたのですが、稲盛さんは嫌な顔一つせず、「どんな事情があろうと、理念に反することはしてはならんのです」と答えました。さらには「理念を曲げるくらいなら、従業員ごと会社がつぶれなければいけません」と断言し、「会社が理念を曲げてまで生き延びても、意味がないんです」と毅然と答えました。

 当たり前の回答かもしれませんが、私は、自らの理念と哲学に反することは絶対してはならない、言行は絶対に一致させなければならないという稲盛さんの強い意志を改めて感じ、だからこそ稲盛さんの経営は成功を続けているのだと確信をしました。

 リーダーは、確固たる自分の生き方、経営の対する姿勢、判断基準、つまり、哲学を確立することが必要なのです。そして、それをどんな環境にあろうと堅守することで、組織を守り、発展させていくことができるのです。(続く)