創業間もないころ、間借りの社屋正門前に立つ稲盛和夫(写真提供:京セラ)

 20代で京セラを創業、50代で第二電電企画(現KDDI)を設立して通信自由化へ挑戦し、80歳を目前に日本航空の再生に挑んだ稲盛和夫氏。いくつもの企業を劇的に成長・変革し続けてきたイメージのある稲盛氏だが、京セラで長らく稲盛氏のスタッフを務めた鹿児島大学稲盛アカデミー特任教授の粕谷昌志氏は、「大変革」を必要としないことこそが稲盛経営の真髄だという。本連載では粕谷氏が、京セラの転機となる数々のエピソードとともに稲盛流の「経営」と「変革」について解説する。

 第1回は、「経営理念」と「フィロソフィ」の原点に迫る。創業間もない零細企業で、稲盛経営の礎はいかに築かれたのか?

稲盛和夫の「経営の本質」

 稲盛和夫の企業変革の歩みをたどるに当たり、まずは「変革」の意について考えてみたい。

 稲盛は、間違いなく生涯にわたり変革を続けた、イノベーティブな経営者であった。しかし、その変革とは、京セラにおいては、積年の経営課題を劇的に克服してみせることでも、ジリ貧にあった事業を反転飛躍させることでも、ましてや破滅の危機にひんした会社を起死回生させることでもなかった。

 京セラは、創業年から高水準の利益を上げ、順調に成長発展を重ねた。創業からすでに64年が経過しているが、その間、オイルショックやリーマンショックなど大規模な経済変動があったにもかかわらず、赤字決算の年は一つもない。経営危機などとは無縁の道を歩んだ。

 それは、稲盛が常に現状改善に努め、企業の屋台骨を揺るがすような経営課題の発生を未然に防いできたから、あるいは未曽有の事態に遭遇しても克服できるほど盤石の経営基盤を構築してきたからである。

 一見順調に見える、京セラの経営の道のりは、稲盛が現状に安住することなく、常にあるべき理想の姿を追求し、地道な変革を重ね続けることで、大ナタを振るうような大変革を必要としなかったからに過ぎない。

 誤解を恐れず野球に例えるなら、稲盛の変革とは、失点を重ねた苦境を克服すべく逆転ホームランを狙うようなものではない。失点を最小限に留めつつ、着実にヒットを重ね、少しでもランナーを先の塁に進める創意工夫を重ねることで、負けない常勝チームを作り上げていくことに近い。

 そのような常日頃から少しでも企業を良くしようとする、変化の営みの連なりこそが、京セラ創業者・稲盛和夫の企業変革であり、その経営の本質でもある。

 京セラの歴史をたどりながら、稲盛の絶えざる企業変革の歩みを追っていきたい。