任天堂・中興の祖の山内溥氏と「ファミリーコンピュータ」任天堂・中興の祖の山内溥氏と「ファミリーコンピュータ」(写真:共同通信社)

 世界中にその名を知られている「NINTENDO」。家庭用ゲーム機の市場をつくった会社だ。しかし1983年に「ファミリーコンピュータ」を発売する直前までは、花札やトランプを主力製品とした京都のローカル企業に過ぎなかった。それを大きく生まれ変わらせたのが、22歳にして社長に就任した山内溥氏(1927─2013)だった。

シリーズ「イノベーターたちの日本企業史」ラインアップ
盛田昭夫はいかにして無名だったソニーを「世界のSONY」に成長させたのか
盛田昭夫が夢見たソニー流「エレキとエンタの両輪経営」はこうして実現した
ヤマト運輸元社長・小倉昌男が採算の合わない「宅急便事業」に挑戦したワケ

「宅急便」の生みの親、小倉昌男はケンカも辞さない江戸っ子経営者だった
松下幸之助をはねつけてまで貫いたダイエー創業者・中内功の「安売りの哲学」
中内功が築き上げた日本有数の巨大企業グループ、ダイエーはなぜ転落したのか

ハンバーガーを国民食にした日本マクドナルド創業者・藤田田の商魂たくましさ
孫正義も師と仰いだ日本マクドナルド創業者、藤田田の先見力はなぜ陰ったのか
ウイスキーを大衆化させたサントリー、佐治敬三の卓越したマーケティング力
「舌禍事件」でピンチ招いたサントリー、佐治敬三はどう経営を立て直したのか
「最も成功した東大出身起業家」、リクルート江副浩正が時代の寵児になるまで
天国から地獄へ、リクルート事件で全てを失った江副浩正の「晩節」
日本初の警備会社・セコムをつくった飯田亮、貫いた「破壊と創造」の経営哲学

「社会が必要とするものを全てやる」セコム創業者の飯田亮が前のめりで描き続けた企業のグランドデザイン
■一時は経営危機に陥ったファミコンの父・山内溥が「ハードは赤字で構わない」と利益度外視の価格設定を貫いた理由(本稿)
ソニーやマイクロソフトなど世界的企業のゲーム機参入に一歩も引かなかった任天堂・中興の祖の「プライド」(7月上旬公開予定)


<著者フォロー機能のご案内>
●無料会員に登録すれば、本記事の下部にある著者プロフィール欄から著者フォローできます。
●フォローした著者の記事は、マイページから簡単に確認できるようになります。
会員登録(無料)はこちらから

家業を拡大させた「プラスチックトランプ」の大ヒット

 京都に本社を置く家庭用ゲーム機メーカー、任天堂。社名は「運を天に任す」に由来する。祖業は花札の製造・販売。博打に使われる道具を作っていたからこその社名である。

 1889年創業だから今年で創業135年となる。創業者は山内房次郎氏。その後、娘婿の山内積良氏が2代目社長となる。その息子は本来3代目となるはずだったが、妻子を置いて出奔、積良氏は孫の面倒を見る羽目になった。その孫こそ、本稿の主人公であり、任天堂中興の祖、そしてファミコンの父・山内溥氏だ(以下・山内氏)。

任天堂の中興の祖、山内溥氏山内溥氏(2002年撮影、写真:共同通信社)

 山内氏は戦後、早稲田大学専門部法律科に入学する。しかし在学中の1949年、祖父・積良氏が病に倒れたことで、弱冠22歳にして社長に就任することになった。そこから2013年に亡くなるまで、山内氏の60年を超える経営者人生が始まった。

 当時の主力商品は花札にカルタ、そしてトランプ。経営は安定していたが、家業に毛が生えた程度の規模でしかなかった。そこから脱却できたのは山内氏のアイデアがあったからだった。

 1950年代にプラスチックトランプが登場する。それまでの紙製のトランプは、使っているうちに角が擦り切れてしまっていたが、プラスチックにはそれがない。山内氏はこれをいち早く取り入れた。しかも、紙よりもはるかに発色性がいいことに目をつけ、ディズニーキャラクターを使った「ディズニートランプ」を1959年に発売、大ヒットを記録する。これにより1960年代、任天堂は業界トップに躍り出る。

 しかしブームはいつか終わる。ディズニートランプの売り上げの陰りを見た山内氏は、「自分たちの商品は必需品ではない。そのうち市場があっという間になくなるかもしれない」という恐怖心を抱く。それを克服するには次から次へと事業を育てる必要がある。そう考えた山内氏は新規事業開拓に奔走する。そしてこれは、任天堂の迷走の始まりだった。

任天堂の旧本社ビルの看板(写真:共同通信社)