防衛装備移転三原則は産業政策ではなく安全保障政策

桜林:防衛産業が大事だという話が、最近さまざまなところで語られるようになったこと自体は非常に良いことだと思います。

 日本では、2014年4月1日に防衛装備移転三原則が制定されました。それ以前の日本では、武器輸出三原則によって実質的に武器の輸出は禁止されていました。防衛装備移転三原則制定により、一定の条件を満たせば防衛装備品の輸出が可能になったのです。

 防衛装備品の輸出を促進すべきだという声も多く聞かれます。そのような考えの根底には、たくさん造ったほうがスケールメリットが得られるということがあります。もちろん、この考え方自体は間違ってはいません。

 しかし、防衛装備品は「武器」である、ということを忘れてはいけません。これは安全保障政策として捉えるべき性質のものだと思います。

 事実、防衛装備移転三原則でも「我が国の安全保障上の目標を達成する上で、防衛装備の海外への移転は、(中略)我が国にとって望ましい安全保障環境の創出や、国際法に違反する侵略や武力の行使又は武力による威嚇を受けている国への支援等のための重要な政策的な手段となる」と書かれています。

 防衛装備移転三原則は、右肩下がりの防衛産業を盛り上げるための産業政策のように捉えられがちですが、実質は安全保障政策です。

 防衛装備品の輸出に関する議論は、産業と安全保障の側面がひとまとめにされているように感じられます。安全保障をなおざりに防衛装備品輸出を語ってしまえば、防衛産業の振興という話に留まってしまいます。

 そもそも「防衛装備品」と一口に言っても、戦車もあれば、靴下までさまざまです。それらすべてを一つの議論に当てはめようとすること自体に、無理があるのです。

──軍事政策の失敗例として、1980年代の英国のサッチャー政権を挙げていました。

桜林:政治はどうしても国民に受け入れられるものを発信していかなければなりません。経済的に苦しいときには、経済政策が優先されるのは仕方のないことです。

 1980年代の英国がまさにそれでした。「英国病」とも揶揄される長い経済の停滞のさなかに首相に就任したマーガレット・サッチャーは経済政策に着手。国防予算削減のために大幅な軍縮を行いました。

 その結果、アルゼンチン西側の南大西洋に浮かぶ英国領フォークランド諸島に、アルゼンチンの侵攻を許すことになったのです。

 結果的に英国はフォークランド諸島を死守することができました。しかし、ことはこれだけでは終わりませんでした。

 その後、英国は一転して、手放した軍事力を取り戻すことに努めました。しかし、船舶のエンジン部品や潜水艦の開発技術などは、簡単に元通りとはいかなかったようです。

 ここで言いたいのは、防衛政策はすぐに結果が出るものではないということです。目の前に脅威がなかったとしても、10年後、100年後にあるかもしれないリスクを見据えてやるべきことはやらなければなりません。

 目の前の経済政策に比重を置いて、防衛政策を後回しにしてしまうと、そのツケがいつか回ってくるのです。