劣勢を受け、演説内容は経済・物価高対策にシフト

 下りのエスカレーターを逆走するかのような戦いを強いられた首相は、当初は1日当たり5カ所程度だった遊説を、中盤以降は日によって8カ所に拡大。後半戦は大阪、愛知、東京といった都市部を集中的に「回れるだけ回る」態勢を敷いた。

 国内外で相次いだ政治家へのテロ行為を背景に、警備が強化される一方、それは有権者との触れ合いの減少にもつながった。

 首相は党政調会長時代からの「盟友」である石井啓一・公明党代表とのパイプを生かして支援を得るべく、公明候補を頻繁に応援。中盤には、苦戦する局面の打開を図るため「私も死に物狂いで全国を駆け回る」とし、取り組み強化を党内に求める「緊急通達」を総裁名で発出した。

埼玉県草加市でそろって街頭演説する自民党総裁の石破首相(右)と公明党の石井代表=13日午後(写真:共同通信社)埼玉県草加市でそろって街頭演説する自民党総裁の石破首相(右)と公明党の石井代表=13日午後(写真:共同通信社)
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 首相の演説内容は情勢を反映し変遷した。序盤では政治資金問題といった政治改革、防災や安全保障、地方創生に割く時間が相対的に多かった。

 これに対し、防戦を迫られる不記載問題に業を煮やし、政権内では幹部クラスらが「もっと物価高対策や経済政策、補正予算について訴えるべきだ」と助言。経済政策に明るい秘書官らも同行してアシストした。

 例えば最終日の演説は、冒頭に経済対策を据え、物価高対策や勤労者の収入向上、下請け企業支援、都市農業、人口減少問題に時間を割いた。