手段が目的化してしまった
残ったのは、主として社会保障関連の支出から生じた大きな財政赤字の積み上がりと、その赤字をいくら拡大しても大丈夫だという極論が拡がったことである。
古今東西の歴史の中で、財政赤字の拡大を放置して長く繁栄した権力などない。
かくして第3の柱は未完となっている。日本経済の供給構造を内外の需要の大きな変化に合わせて変えることは、現在でもなお最優先の課題である。さらに、21世紀に入って急速に進んだデジタル化の流れをビジネスに組み込むことにも日本の企業は後れをとっている。
政府はいまだに「デフレからの脱却」を言っているが、それ自体が今にフィットしない。デフレが問題なのではなく、国民はインフレで大変なのである。
デフレからの完全脱却を声高に唱え選挙戦を戦おうとする候補者がいるとしたら、それは逆効果であり、誠に大変なことと感じられてならない。
このようにアベノミクスは、その出発点における発想は極めて常識的なものであり、2010年代初に日本経済が直面していた問題を正しく解決しようとしたのだと言える。
問題は、その後、3つの柱がアンバランスになってしまったことだ。それに伴って、手段が目的化し、最終的に何を実現しようとするのかが見失われてしまった。
私はキリスト者では全くないが、こうした展開を振り返ると、新約聖書マタイ伝にある有名な言葉を思い出さずにはいられない。
狭い門を通り入れ。何故なら、破壊に至る門は大きく、その道も広く、それを通る者は多い。しかし、いのちに続く門は小さく、その道も狭く、ごく少ない者しかそれをみつけることはない。
これは筆者の素人訳なので、そこはご容赦願いたいが、アベノミクスの現実は、この広い門へと続いてしまい、破壊にまでは至っていないが、これから進路変更を行い、大変だが日本経済の元気を取り戻す狭い道へと進まなくてはならない。つまり、3つの柱のバランスを取り戻さなくてはいけない。