自ら解決を表明しながら解決できていない問題

 小欄でも繰り返し取り上げてきたとおり、日本政治における政治とカネの問題は宿痾といえる。ロッキード事件やリクルート事件がそうだ。前者は現職総理大臣在任中の不祥事で、一審判決後の1985年に政治倫理審査会と政治倫理綱領につながった。

 後者はのちに90年代の政権交代、つまり1955年の保守合同以来、40年近く続いた自民党が政権与党の座にある「55年体制」の幕を下ろし、8会派連立による細川護熙非自民・非共産連立政権の樹立を促し、現在の衆議院の選挙制度である小選挙区比例代表並立制、政治資金規正法、政党助成法の政治とカネの基本的なかたちを生み出した(後者は衆議院選挙区画定審議会設置法とあわせて、政治改革4法と呼ばれる)。
 
 令和の政治とカネ事件では、ここで出てきた規制や機関にスポットライトがあたり、不思議なめぐり合わせとなった。

 それにしても政治とカネの問題は日本においてたびたび生じる割には改革の歩みが遅い。小欄でも取り上げてきたように、政治倫理の確立も、脱派閥も、政治献金の廃止も、リクルート事件を経て自民党自ら「政治改革大綱」(1989年)で党議決定したことに象徴されるが、過去に何度も宣言してきたことだった。

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 つまり令和の政治とカネの問題は、自主的解決を表明しながら解決できていない問題なのである。そうでありながら、未だに問題の検討ばかりを口にしている有り様だ。