YouTubeチャンネルの登録者数は35.6万人

 短いイニングでの適性を見出された藤川氏は、岡田氏が1軍監督になって2年目の2005年には久保田智之投手、ジェフ・ウィリアムス投手と「JFK」を結成。チームは試合中盤までにリードを奪えば、3投手の継投で逃げ切る「勝利の方程式」を確立し、リーグ優勝に貢献した。

 日本代表として北京五輪やワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で活躍。米大リーグでもプレーし、帰国後は阪神に選手として復帰するまでの間に、独立リーグも経験した。

退任する岡田監督(写真:共同通信社)

 岡田氏は第1次政権の最後のシーズンとなった2008年も、今季と同じくCS第1ステージ(当時)で敗退した。このときは中日に敗れたが、最終第3戦で決勝2ランを浴びたのが、藤川氏だった。両者はこのとき、互いに涙で抱擁を交わし、岡田氏は「最後に打たれたのがお前で良かったよ」とねぎらった。

 藤川氏は2020年に引退後、配球や投手心理にも切り込む理論派のプロ野球解説者として存在感を高めた。監督になるまでコーチ業などで指導者としての経験を積んだ岡田氏とは対照的に、引退後の4年間で指導者の経験はない。一方で、球団フロント職のSAとして、外国人選手獲得の調査を主とした編成に携わるなど、見識を広げた。

 プロスポーツ界の情報発信の在り方は、時代とともに変わってきている。かつてはテレビや新聞などのメディアに出演しなければ発言の機会を得にくかったが、現在は個人でもメディアを持てる時代。藤川氏も35.6万人が登録(16日午前現在、就任後は更新停止)する自身のYouTubeチャンネル「藤川球児の真向勝負」や、同じく23万人以上(同)のフォロワーがいるXなどのSNSを活用し、露出機会を増やした。