新橋-神戸間の東海道線全線開通は明治22年

 明治5(1872)年、新橋-横浜間に日本初の鉄道が開通してから2年後、今度は関西でも鉄道開通の日を迎えます。

 明治7(1874)年5月11日には神戸駅が誕生し、大阪-神戸間に官設鉄道が開通。さらに3年後の明治10(1877)年2月5日には、神戸-京都間が全通します。このときは、京都、大阪、神戸のすべての駅で、明治天皇臨御の記念式典が開催されたそうです。

 以下の写真は、明治10年5月改正の「大阪神戸間時刻表」と「賃金表(運賃)」が和紙に版画で刷られたものです。

和紙に版画で刷られた明治10年の大阪-神戸間の時刻表と運賃表(筆者撮影)
拡大画像表示

 これは、歴史研究者であった筆者の夫の祖父・柳原多美雄が生前に入手していたものなのですが、当時の時刻表にはこのようなかたちのものもあったのですね。

 運賃は席のグレードによって「上・中・下」と差がつけられていることがわかります。神戸から大阪までの「上」席の運賃は1円(100銭)。当時のうな重が一人前20銭だったという記録をもとに振り返ると、かなり贅沢な乗り物であったことがうかがえます。

 ちなみに、この時刻表が発行された明治10年の夏頃から、日本ではコレラという恐ろしい感染症が大流行します。佐野鼎は東京で開成学園の前身となる共立学校を創立して6年目を迎え、生徒の数もどんどん増えていましたが、この年の10月、コレラに罹患し、48歳という若さで亡くなってしまいます。

 新橋-神戸間の東海道線全線が開通するのは、それから12年後の明治22(1889)年7月1日のことです。もし佐野鼎が還暦まで生きていれば、きっと日本の鉄道の発展に目を細めたことでしょう。