岐阜城・信長居館跡の土塁 写真/西股 総生

(歴史ライター:西股 総生)

●戦国の城の写真でありがちな失敗を回避する(前編)

大事なのは順序よく城内を歩くこと

(前稿から)「戦国の城の写真あるある」のうち、もっとも多くの人を悩ませているのは、前稿に挙げた四つのうちの③、「どこを写したカットなのかわからなくなってしまう」ではなかろうか。

 なぜ、そうなってしまうのかというと、被写体となる土塁や空堀が、どれも同じような形をしているからだ。曲輪に至ってはただの地面、切岸はほとんど崖にしか写らない。

写真1:高天神城(静岡県掛川市)の切岸。どこを撮ったかわからなくなりがちなカットだ

 ではどうするかというと、②の解決策を応用すればよい。たいがいの城には、要所要所に何かしら看板や標柱が立っている。そこで、主郭へ行ったらまず、「主郭・本丸」の表示を入れたカットを撮り、それから周囲の土塁や空堀、虎口を撮る。

 次に二ノ曲輪に行ったら、まず標柱を…、という具合に撮ってゆくのだ。逆に、登り口でまず一枚撮ったら、主郭にたどり着くまでは、迂闊にシャッターを切らないように心がけるわけだ。

写真2:高天神城。こうしたカットを撮っておけば写真1も、的場曲輪から見た主郭の切岸だとわかる

 いい方を換えるなら、順序よく城内を歩くことが大事、というわけである。一番よくないのは、数人の仲間といっしょに城へ行って、「この虎口、いい!」「こっちに凄い堀切があるよ!」といった具合に右往左往して、そのたびにシャッターを切ることだ。

 登り口から主郭を目ざしたら、主郭→北ノ曲輪→二ノ曲輪→三ノ曲輪といった具合に、順序よく遺構を見て歩くようにする。これなら、帰宅してからでも縄張図や案内図(または説明板を撮ったカット)と照らし合わせて、どこを撮ったのか思い出しやすい。

 ここで「戦国の城の写真あるある」を退治する、最大の秘訣を伝授しよう。それは、何でもかんでもやたらに撮らないことだ。撮っても藪にしか写らないと思ったら、潔くあきらめる。ないしは、撮ってみて藪にしか見えないと思ったら、その場で速攻消去する。見た遺構を全部写真に撮っても、容量を食うだけで、資するところは何もない。

写真3:高幡城(東京都日野市)。堀切を撮っても藪にしか見えない。こうしたジャンクカットは保存しても容量を食うだけ

 この秘訣と、順序よく歩きながら表示類をこまめに撮る、という方法とを組み合わせれば、「どこを写したカットなのかわからなくなってしまう」問題は、かなり解決できる。それに、ダメと思ったら潔くあきらめたり消去する、という行為を繰り返すことは、構図のセンスを磨く効果もある。

 最後に、④の映えない問題について。この問題の責任は、あなたの側にはない。被写体が悪いのである。何といっても戦国の城の場合、被写体はほとんど土と草木ばかりで、色相的には茶色と緑ばかりだからだ。せいぜい石積のグレーが加わるくらいで、こんなものを普通に撮っても、映えるわけないではないか。

写真4:菅谷城(埼玉県嵐山町)主郭の土塁。土の城の写真は緑色と茶色ばかりだ

 したがって一番手っ取り早い解決法は、潔く「映え」をあきらめることである。ではあるのだが、あきらめのつかない人には、救いの道が残されていなくもない。それは、地面と草木=茶色と緑を、少しでも美しく撮る方法を工夫することだ。

 具体的には、まずライティングにこだわる。城跡に差す光を注意深く読んで露出を工夫し、地面と草木が美しく見える瞬間を切り取る。また、被写体が地面と草木であることを逆手にとって、廃墟感が出るような画面構成を工夫してみる。

写真5:山中城(静岡県三島市)北ノ丸。どうせなら緑色と茶色をきれいに撮ってあげよう

 ここから先は、各人工夫してセンスと技術を磨くしかない。未踏の分野ではあるが、王道がないぶん、成功すればオリジナリティ溢れる作品を生み出せるかもしれない。

 以上、筆者の体験をもとに、戦国の城を撮るコツについてザッとまとめてみた。少しは参考になっただろうか。

写真6:石垣山城(神奈川県小田原市)。豊臣秀吉や幾多の武将が歩いた本丸の枡形虎口を廃城っぽく撮ってみた

[参考図書] 城の見方・歩き方の基本が身につく本、西股総生著『1からわかる日本の城』(JBprees)好評発売中!