いずれの研究も、蓄積されたデータを後から解析したものだ。様々なバイアスが影響しているだろう。

 ただ、そのことを考慮しても、GLP-1受容体作動薬のがん予防効果を肯定的に捉える研究者が多い。それは、動物実験や細胞レベルの研究では、GLP-1受容体作動薬ががん細胞の増殖を抑制し、アポトーシス(細胞死)を促す可能性が示されているし、肥満ががんの危険因子であることは、医学的コンセンサスだからだ。

 肥満症患者では、インスリンの効き目(感受性)が低下するため、インスリンやインスリン様成長因子-1(IGF-1)を過剰に作るようになる。このような物質は細胞増殖を促進し、がんのリスクを高める。また、肥満は、それ自体が、体内で炎症や酸化ストレスを生じさせ、これらが発がんリスクを高めることも知られている。GLP-1受容体作動薬による減量が、インスリンや関連物質、炎症などを抑制することで、発がんリスクを低下させてもおかしくはない。

 もちろん、GLP-1受容体作動薬による減量は、通常の方法での減量とは違うため、GLP-1受容体作動薬を用いた減量が発がんリスクに影響しない可能性もある。この問題の解決は、臨床試験の積み重ねが必要だ。それには時間がかかるだろう。

糖尿病患者は保険でカバーも

 では、現時点で、我々はどうすればいいのか。私は、正確な状況を社会でシェアすべきだと思う。中高年になると誰もが健康が気になる。特に親が患った病気は心配だ。体質が遺伝しているし、親が闘病する姿を見ている。彼らは、この問題に医学的コンセンサスが確立するまで待っている時間的余裕はない。

 私が外来でフォローする患者さんの中には、がん家系で、がんを心配している人が少なくない。胃カメラなど定期的な検診はもちろん、ピロリ菌の除菌や子宮頸がんや中咽頭がんなどの原因となるヒトパピローマウイルス(HPV)のワクチンの接種を希望する人もいる。彼らにとって、GLP-1受容体作動薬のがん予防の研究成果はありがたい。

 幸い、GLP-1受容体作動薬は糖尿病治療薬としては古い薬だ。2005年に米国で初めて承認されて以降、約20年の使用経験があり、高い安全性が証明されている。

 私は、このような患者さんには、GLP-1受容体作動薬のがん予防効果の話をすることにしている。もちろん、現時点では、十分に研究されておらず、医学的コンセンサスではないことは強調する。それでも、「試してみたい」という患者が少なくない。

 彼らに対しては、何とかして期待に応えたいと思う。その際、課題となるのは薬剤費だ。ただ、GLP-1受容体作動薬は、糖尿病を患っている場合には、健康保険がカバーする。糖尿病の診断基準は近年厳しくなっており、空腹時血糖値126mg/dL以上やHbA1c6.5%以上などを2回確認すれば診断される。従来、この程度の血糖値の場合、食事や運動療法を勧め、治療薬を処方しなかったが、最近、私は方針を変えている。がん家系などの理由で、がんのことを心配している人には、GLP-1受容体作動薬も治療選択肢に挙げる。多くの患者さんが、処方を希望する。

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