主治医以外からの情報も重要

 問題は、糖尿病の診断基準を満たさない場合だ。軽度~中等度の肥満症があれば(BMI 35kg/m2以上、あるいは27kg/m2以上で二つ以上の肥満関連合併症がある肥満症患者の場合は健康保険で支払われる)、自費診療で処方できることを紹介する。製剤により差があるが、一カ月の薬剤費は約1万円だ。これと診察費を自費で支払うことになる。大きな出費だが、私の外来では約半数の患者が処方を希望する。

 その際、患者さんが心配するのが注射の痛みだ。GLP-1受容体作動薬は経口剤があるものの、使用経験が多く、有効性が確立しているのは注射剤だ。自宅で自ら注射する(自己注射)。

 注射というと、採血やインフルエンザやコロナワクチン接種を想像する人が多い。このような注射は、それなりの痛みを伴う。だが、自己注射の針は32ゲージ程度の極細だ。「ほとんど痛みを感じません」という人が大部分だ。そして、「今後、どうなるかわかりませんが、やってみて良かったです」という人が多い。

 これが、私の診療スタイルだ。エビデンスが確立していない治療を患者さんに薦めることに違和感を抱く医師もいらっしゃるだろう。それも一つの考え方だ。一方で、現時点での医学的エビデンスを考慮すれば、私のような対応は十分にあり得ると思う。最終的には患者が決めればよい。

 その際には、大切なことは患者に十分な情報が提供されることだ。主治医以外からの情報も重要だ。そうでなければ、簡単に主治医に「説得」されてしまう。

 我が国で残念なのは、GLP-1受容体作動薬に対する正確な情報がシェアされていないことだ。冒頭にご紹介したラスカー賞のニュースを全国紙5紙は報じなかった。世界の医学研究の成果が、日本国民に伝えられていないことになる。医学は専門性が高い。

 往々にして全国紙5紙は、厚労省記者クラブで発信される厚生労働省からの情報を記事にしている。心疾患や脳卒中への使用は米FDAで承認されているが、日本ではまだだ。厚生労働省が承認していない薬剤の使用を報道することに躊躇するのだろう。割を食うのは国民だ。メディアの方々の奮起を期待したい。

上昌広
(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。

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