(英フィナンシャル・タイムズ紙 2024年9月25日付)
ジョー・バイデンがカマラ・ハリスに道を譲ったことで得た利点の一つは、それにより大統領の仕事に専念できることだった。
あれから2カ月経った今、空いたスケジュールが効果を上げている証拠はほとんど見られない。
時代が違えば、バイデンは舞台を去りながら長いお辞儀をする贅沢が許されたかもしれない。
だが、中東は本格的な戦争の瀬戸際にあり、ウクライナは危険な冬に向かっている。
米大統領選挙でのハリスの勝算とバイデン自身のレガシー(遺産)が危うくなっている。
イスラエルvsヒズボラの戦いに見る対応
今は厳しい決断を避けるべき時ではない。それにもかかわらず、バイデンがやっていることはまさにそれだ。
このうち最も差し迫った判断は、イスラエルとレバノンの親イラン民兵組織ヒズボラの間で全面戦争が勃発する可能性についてだ。
イスラエル首相のベンヤミン・ネタニヤフがヒズボラに対する先制攻撃と宣言したものに対するバイデンの反応は、今のところパレスチナ自治区ガザでの紛争と同じパターンをたどっている。
バイデンは、自分がイスラエルと親密であるほど同国がやることに影響を及ぼせると考えている。
ネタニヤフを相手にこれが奏功することを示す証拠は何もない。
実際、イスラム組織ハマスが昨年10月7日に1200人のイスラエル人を殺害してから11カ月半にわたり、バイデンの行動は気が滅入るほどおなじみのパターンをたどってきた。
バイデンはイスラエルに対し、必要な武器と国際的な支援を何でも与える。
ネタニヤフはこれに対し、停戦を仲介し、イスラエル国防軍の軍事作戦を変えようとするバイデンの努力を無視する。
アルベルト・アインシュタインの言葉とされる狂気の定義は、同じことを何度もやり、異なる結果を期待することだ。
バイデンが正気でないとは誰も考えていない。だが、逆効果であることが予想できる溝にはまり込んでいる。
ラテン語に由来する「quid pro quo(交換条件)」のポイントは、何らかの見返りがあることだ。
ネタニヤフを相手にしている時、バイデンは果てしない「quid pro nihilo(見返りなしの行為)」から抜け出せないように見える。