羽生結弦さんが抱く震災への想いとは=写真は2024 ファンタジーオンアイス(写真:松尾/アフロスポーツ)

(田中 充:尚美学園大学スポーツマネジメント学部准教授)

 フィギュアスケート男子で五輪2連覇を果たし、プロスケーターとして活躍する羽生結弦さんは9月15日、能登半島地震で被災した石川県でのチャリティー演技会に出演した。これまでも、プロとして観客に魅せるアイスショーに加え、故郷を襲った東日本大震災のチャリティー演技会を精力的に取り組んできた。

>>【写真多数】「3・11」後に羽生結弦さん(当時16歳)が出演した2011年のチャリティー演技会にて

 まばゆいスポットライトを浴びる世界で華麗なスケートを舞うのとは一線を画し、自然災害や被災者と向き合う姿には、自らの限界を超えてスキル向上を追い求めていた競技者時代とは違う、「観る人」たちに寄り添う温かく、穏やかな感情が込められている。

「3・11」後の苦悩を乗り越えて、プロスケーターとして唯一無二の存在へと駆け上がった羽生さんは、なぜ各地の震災と向き合い続けるのか。その理由を改めて探った。

能登での豪雨で増水し流木が折り重なる川(写真:共同通信社)

 9月下旬、能登半島地震で甚大な被害を受けた地域を記録的な豪雨が襲った。被災者の仮設住宅が浸水し、集落の一部は孤立。多くの被災者の傷をえぐった。こうした状況の9月25日。羽生さんが表紙を飾ったNewsweek (ニューズウィーク日本版) 2024年10月1日号が発売された。同誌編集部の小暮聡子氏と大橋希氏によるロングインタビューには、羽生さんの「能登に伝えたい思い」があふれていた。

 詳細は誌面に委ねるが、被災者を勇気づける言葉の数々が並ぶインタビューでは、羽生さん自身が東日本大震災を経験した当時の心境も語られていた。

 筆者がフィギュアスケート担当になったのは11年秋で、まさに震災を経験した羽生さんがシニア2年目のシーズンを迎え、大きく飛躍を遂げようとしていた時期と重なる。

 当時の羽生さんは「東日本大震災を乗り越え、活躍する高校生スケーター」という位置づけだった。しかし、羽生さんが震災について多くを語ることはなかった。そこには、羽生さんの大きな葛藤があったからだと聞く。

 羽生さんは当時、「最初の半年間くらいは『被災地代表』のように扱われることがすごく嫌だと思ったことがあります。僕が経験したことが、東日本大震災のすべてではなく、犠牲になった方々、もっと大きな被害を受けた人たちもたくさんいらっしゃいます。その人たちの気持ちを代弁することはできないと思っています」と打ち明けていた。

 自分よりも悲しい思いをした人、大きな被害を受けた人がいる中で、自分が震災の当事者としてどこまで語っていいのかという悩みを抱えているようだった。しかし、自らの演技が、スケートファンだけではなく、被災地にも明るいニュースを届けていることを肌で感じるようになり、「最初は自分のために、自分がスケートを好きだから続けていましたが、それ以上の意味を持ち始めているのかなと思っています」と心境に変化が生じるようになっていった。