「3・11」への想いが観客の感情に寄り添う滑りに

 羽生さんは震災直後、被災地の故郷を一時的に離れ、神奈川のリンクで練習を再開する。当時の羽生さんは余震に体を震わせ、自分だけがスケートを続けていいのかと思い悩んでいた。未曾有の大震災で様変わりした故郷を後にしたときの心境は――。

 今回のニューズウィークのインタビューの中で語られた「『自分は被災地から逃げた』という思いはずっと持っていました」という罪悪感と使命感を持って神奈川へ向かったという言葉は、重く心に響くものだった。それでも、前に進むことを決めたからこそ、いまの羽生さんがある。

2011年4月9日に神戸で開催された東日本大震災チャリティー演技会にて(写真:アフロスポーツ)

 羽生さんの演技に、なぜ人は心を揺さぶられるのか。その答えは、五輪2連覇の絶対王者が放つ美しい4回転ジャンプやトリプルアクセル、卓越したスケーティングスキルだけに起因するものではないだろう。生命の尊さはもちろん、ささやかな喜び、悲哀、日常にある小さな幸せ・・・。羽生さんが、人が見向きもしないようなことにも気持ちを傾けるからこそ、細部にまで息吹を感じさせるプログラムが完成していくのだと考える。

 そして、9月のチャリティー演技会のように、心を込めて、被災者や観る人たち、演技を届けたい人たちへの感情に寄り添って滑るからこそ、温もりで包まれた演技になるのではないだろうか。源流の一つが「3・11」にあるように思えてならない。

 羽生さんは競技者時代、練習拠点をカナダ・トロントに移してからも、東日本大震災が発生した時間には、時差に関係なく、日本の方角へ向けて黙祷を捧げた。今年の「3・11」の午後2時46分には、仙台市内のホテルの窓から海に向かって祈った。チャリティー演技会で能登の被災者に向けられた思いも深かった。被災地やアイスリンクに対する寄付は3億円以上になる。

 なぜ、羽生さんは被災地へ眼差しを向け、震災と向き合い続けるのか。