刺殺事件の現場(写真:AP/アフロ)刺殺事件の現場(写真:AP/アフロ)

 2002年10月25日、世田谷区の自宅前で、迎えに来た車に乗ろうとしたところを右翼団体の男に襲われ、刺殺された政治家がいる。民主党所属の衆議院議員だった石井紘基だ。彼は「国会質問で日本がひっくり返るくらい重大なことを暴く」と語り、まさに国会に質問を提出しに行くその朝に殺害された。

 後に逮捕された犯人は、石井氏との金銭トラブルが殺害の理由だと語ったが、殺害時に石井氏の財布などには手を付けておらず、事件現場から持ち去られた石井氏の手帳と資料は今も見つかっていない。

 警察も検察も十分に捜査を尽くさなかったこの事件は、犯人が逮捕されているにもかかわらず、いまだ真相は闇の中だ。石井紘基とはどのような政治家で、なぜ狙われたのか。『わが恩師 石井紘基が見破った官僚国家 日本の闇』(集英社新書)を上梓した石井氏の元秘書で元明石市長の泉房穂氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──石井紘基さんはどんな人でしたか?

泉房穂氏(以下、泉):石井さんは私の恩師で、正義の政治家でした。今日では「正義」と「政治家」という言葉は結びつかないと感じる方も少なくないかもしれませんが、石井さんは、大きく2つの意味で正義の人だったと思います。

 1つは困っている人を救う弱者救済の政治をする人でした。そして、もう1つの正義は不正を許さない政治です。税金が不正に使われることを絶対に許してはならない。だから凶悪にこそメスを入れる。そういう発想をする方でした。

──泉さんは石井さんの付き人をされていたと書かれています。

泉:私がまだ20代の頃ですから、ほとんど40年近く昔の話です。石井さんの書いた最初の本『つながればパワー 政治改革への私の直言』(創樹社)という本を東京・高田馬場の芳林堂書店で手に取ったのが始まりです。

 石井さんが立候補するにあたり書かれた本です。市民と市民が手を取り合って力を合わせれば、そのパワーで世の中を変えていける。正しい政治をすることができる。本にはそうした考えや具体的な方法が書かれていました。

 読んで感動した私は「あなたのような方にこそ政治家になってほしい」と書いた手紙を送りました。そうしたら後日、著者本人から返事の手紙が届きました。そこには「ぜひ会いたい」と書かれていました。

 嬉しくなって会いに行くと、話し始めてほんの5分ほどで「選挙に出るのだけれど、手伝ってくれる人がいない」「会って間もない君にこんなことを頼むのもおかしいけれど、選挙を手伝ってほしい」と言われました。

 私はまた感動して、「私があなたを政治家にしてみせます」と言って、仕事もやめて、石井さんの家の近くに引っ越して、昼夜を共にしながら石井さんの選挙を1年ほど手伝いました。

 ところが、僅差ではありましたが、石井さんは最初の選挙で落選してしまった。私は、当選させられなかったことを石井さんに謝りました。そして「次こそ頑張りましょう」と言ったら、「君を何年も引っ張れない」「泉くん、騙されたと思って司法試験を受けて弁護士になりなさい」と石井さんから言われました。もうビックリしました。

 君もいずれ政治家になるだろうけれど、急いで政治家になってはいけない。弁護士になって生活の糧を作り、困っている人たちを本気で助け、もっと世の中のことを知ってから政治家になったほうがいい。そのほうがいい政治家になれる。石井さんからそう言われた私は、司法試験を受けて弁護士になったのです。

 そして、石井さんが亡くなった翌年に、彼の意思を継いで政治の道に入りました。

──石井さんは「特殊法人」と「特別会計」という雇用と財政の隠れた巨大な闇を明かし、その問題を時の政権に突きつけました。