長らくアフリカ大陸は、各地で西洋の植民地支配を受けてきた。植民地主義が形式的に終わってゆく中でも、抑圧は姿かたちを変えて存在しており、そうした歴史を背負った加害者と被害者が共存する西欧は、常に一触即発の緊張感を抱えてきた。
西欧で暮らすアフリカンたちは、外見的な違いと合わせ、社会における自分たちの立ち位置を過剰なまでに意識せずにはおれない環境下に絶えず身を置いている。恒常的な差別や偏見の眼差しは「黒人性」にどんな影響を与えてきたのか。そうした中で生み出される表現や思想には、どんな特徴があるのか。『アフリカ哲学全史』(筑摩書房)を上梓した立教大学文学部教育学科教授で哲学者の河野哲也氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)
──本書は、アフリカの哲学とその歴史について書かれています。なぜこのテーマで本をお書きになったのでしょうか
河野哲也氏(以下、河野):理由は2つあります。まず日本ではあまりアフリカの哲学が知られていないので、伝えたかったというシンプルな理由があります。
およそ35年前の90年代初頭、私はベルギーの大学の大学院に留学していました。この時、私以外の留学生はおよそ8割がアフリカ人で、ナイジェリアやザイール(現コンゴ民主共和国)からの留学生が多かったと記憶しています。その中に、私と数人のドイツからの留学生がいるという状況でした。
毎月のように論文の発表がありましたが、アフリカの神話を現象学や哲学の視点から解釈したり、アフリカの政治状況を現在の政治哲学で分析したりする研究が多く見られました。
彼らの発表をたくさん聞いたり、一緒に食事をして話したりと、共に過ごす時間が増えてくる中で、アフリカの考え方に触れる機会が増えてきました。そして、彼らが西洋の植民地主義時代の思想に対して、大変厳しい批評の目を向けていることも分かってきました。
ただ、日本に帰国したら、誰もそうしたテーマに関心を持っていなかった。資料を集めようとしても、ほとんど見つかりませんでした。
──30年前の日本はまだアフリカにほとんど関心がなかったのですね。
河野:ところが、2000年前後から、アフリカ関係の書籍が書店でも見られるようになり、大手出版社から分厚いアンソロジー(作品集)なども発売されました。読んでみると内容がとても充実していた。
それでも、ウガンダやケニアなど、特定の地域を対象とした、文化人類学や政治学などの本はたくさんありますが、アフリカ全体の哲学についてまとめたものは見当たりませんでした。ですから、いろんな資料を集めて自分がまとめざるを得ないと思ったのです。