ホームパーティーに参加した黒人が感じたホラー

河野:彼がフランスに行った時に、幼い子どもが彼を見て「ママ、見て、ニグロだよ、ぼく怖い!」と言いました。すると、隣にいるその子の母親が「どうぞお気になさらないで。子どもなもんで、あなたが私たちと同じくらい開けていらっしゃることが分からないんですよ」と言いました。

──こんなことを言われたら心臓が凍りつきますね。

河野:「黒人ではなく、日焼けしたフランス人に対しては、そんなことはわざわざ言わないだろう」とファノンは思いました。つまり、黒人を最初から別のものとして扱い、その上で「同格のものとして扱ってあげる」という態度が見え隠れしています。

 当時、ファノンはフランス領だったアンティル諸島にいて、黒人に囲まれていた時には感じなかったことが、フランスに来て白人に取り囲まれてみると気になって仕方なくなった。そうした意識が身体の中にまで染み込んでくるような感覚があると彼は書いています。

 ジョーダン・ピールという現代のアメリカの映画監督が2017年に発表した『ゲット・アウト』という映画があります。この映画では、黒人の男性が白人の恋人の実家を訪問した時に、ホームパーティーに参加します。そこで自分に向けられる人々の眼差しが、まさにホラーなのです。

 たとえば、「黒人だから」運動が得意であるとか、性的に旺盛であるとか、ある種の偏見を秘めた言葉が何気なく相手から放たれる。

──必ず肉体的に分けて見られているということですよね。

河野:そうです。必ず「黒人」というくくりで自分を判断してくるのです。私たちも思わずやっているかもしれませんが、そういう目線を向けられるほうは言いようのない恐怖を感じる。あの映画では、まさにそうした怖さがうまく表現されていたと思います。

──脱植民地化や反アパルトヘイトなどの抵抗運動において、暴力を使うことを許容するか否かも、アフリカ哲学における重要な論点だという印象を受けました。

河野:この暴力の問題について意見したのは、ハンナ・アーレントでした。ファノンの『黒い皮膚・白い仮面』の序文でサルトルは、この時代にアルジェリアやアンゴラで生じている植民地解放の暴力は、ヨーロッパ人の自分自身の暴力の跳ね返りであることを理解しなければならないと、訴えました。

 アーレントは、こうしたファノンとサルトルの主張を「暴力賛美である」として一蹴しました。でも、それでは植民地の人々はどうしたらいいのか。アーレントは「暴力はいけません」という一般論を述べているに過ぎず、何か別の主張の仕方を提示しているわけではありません。

 ファノンは、警察や体制を支配した構造的な暴力といかに戦うかという問題提起をしています。これに対して、アーレントが異なる解決法を提示しているわけではありません。

 これはまさに、本書でも論じている「白人リベラル層の無責任さ」です。南アフリカのアパルトヘイト廃絶の時も、やはり全く暴力なしとはいきませんでした。ある点では、そうしたこともせざるを得ない。

 アーレントはその後、北アフリカの現実に関心を持ち続けて論文を書いたかというと、そういうこともありませんでした。あまり関心がなかったのだと思います。その点でいえば、サルトルのほうがこの問題に取り組んで発言を続けた。この点に関していえば、彼のほうが誠実だったと思います。(後編「なぜ今アフリカから学ばなければならないのか、アフリカから見えてくる新しい思考」に続く)

長野光(ながの・ひかる)
ビデオジャーナリスト
高校卒業後に渡米、米ラトガーズ大学卒業(専攻は美術)。芸術家のアシスタント、テレビ番組制作会社、日経BPニューヨーク支局記者、市場調査会社などを経て独立。JBpressの動画シリーズ「Straight Talk」リポーター。YouTubeチャンネル「著者が語る」を運営し、本の著者にインタビューしている。