SM思想史研究の河原梓水氏SM思想史研究の河原梓水氏

 ご存じのように、SMという特異な性的嗜好に基づいた倒錯的プレイがある。カップルの間に上下関係を設定して、時に暴力的行為さえ交えながら、支配したりされたりする関係を楽しむ、一見すると野蛮な性の探究である。男女の対等を求めるフェミニズムの観点からすると、このような愛の形は許されない、かのように見える。

 戦後まもなくの日本では、SMを中心に、周縁的なセクシャリティを自認する人々が集まり、後に「変態雑誌」などとも呼ばれた一風変わった刊行物の中で、様々な性愛のあり方愛し合い方が提案され、議論された。その中心にいた人物の一人は、なんと女性史やフェミニズムの研究者だった。

 焼野原の日本で、どんな性文化が芽生え、どんな議論が巻き起こっていたのか。『SMの思想史 戦後日本における支配と暴力をめぐる夢と欲望』(青弓社)を上梓した福岡女子大学国際文理学部国際教養学科准教授の河原梓水氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──この本のタイトルは『SMの思想史 戦後日本における支配と暴力をめぐる夢と欲望』です。これはどんな本ですか?

河原梓水氏(以下、河原):戦後日本の雑誌文化の中で「エロ・グロ雑誌」などとも称され、忌み嫌われつつも、実はかなり読まれていたと考えられる性風俗雑誌──本書ではこれを戦後風俗雑誌と名付けました──を集めて研究した内容をまとめた本です。

 戦後風俗雑誌の内容は多彩ですが、その中でも本書ではサディストとマゾヒスト、現在でいうところのSMに関する内容を取り上げて分析しています。

 SM研究は、日本ではまだ少ないのですが、欧米には数多くあります。SMは性的嗜好の問題と考えられることが多いものの、支配や暴力が肯定的に働くことがあるということ自体は性的嗜好だけの問題ではありません。

 性的同意、人間関係における対等性、セックスにおける安全性、支配を受け入れてしまう主体をどう考えるか、そうしたことを研究する分野でもあります。

 この本では、戦後直後の日本でそうしたテーマがいかに当事者によって語られ、議論されたのかを考察しています。彼らは、例えば身分差があるなど、権力関係が否定しがたい相手との間に、どうやって対等性を担保するのか、そんな関係においていかに肯定的な結びつき、例えば「愛」を成立させることができるのか、といったことを議論していました。

──第二次大戦直後の日本で、そうした性的嗜好がどう見られていたのか、ちょっと想像がつきませんね。

河原:フェミニズムにおいては、SMは女性蔑視的な価値観を反復するものだという批判がずっとあり、想像するだけでも悪だと認識されることもあります。当時の日本でもそういった観念は根強く存在していました。

 ただし、この本の中では権力関係のあるサディストとマゾヒストのことを論じていますが、そこには実は「ノーマル」な男と女の関係も含意されています。

 そもそも男女の間に対等な関係が成立するかどうかということは、70年代や80年代にアメリカで、フェミニズムのムーブメントの中で議論されてきたことで、当時は「男と女の関係は絶対に対等になり得ない」という基本的な問題意識を持つ人々がいました。

 しかし今日、男女関係を語る場合、こうした論点はどこか忘れ去られ、「良い」男性と「良い」女性、つまり、正しい知識を身につけ、お互いを尊重し合うきちんとした人間同士であれば対等な関係が成立するというような前提で議論が進んでいる印象もあります。

 本当にそれでいいのか。SMは、現在忘れられつつあるフェミニズムの一つの論点を現代的観点から捉えなおす、絶好の研究対象だと感じています。SMに興味がない、いわゆる「ノーマル」な人々にも地続きの、重要なテーマだと思います。