「変態雑誌」の金字塔、『奇譚クラブ』が果たした役割

河原:アメリカでこのような論点が議論されるようになるのは、1970年代後半以降です。私がこの本の中で扱ったのは1950年代から1960年代初頭の日本ですが、これは世界的に相当早く、アメリカよりも30年ほど先んじています。

 今日、私たちが男女の対等性や性的同意を議論する場合、アメリカのフェミニズムの議論展開を前提にして、「有効な性的同意とはどんなものか」といった議論をしがちです。この本で私が取り上げた人々は、そうした議論を経由していないので、独特の発想があります。私はそこに価値があると思います。

 例えば、この本で取り上げた、古川裕子というマゾヒストは「対等性や同意の有無だけが、暴力と愛を切り分けるのではない」といったことを述べていて、同意や対等性という「良い」関係の必須要素として現代では疑われたことのない前提に疑義を示していきます。

 古川の考えは、現在の性暴力の問題や、親密性の規範を再検討する視角を与えてくれると思います。

──『奇譚クラブ』を中心に、時に「変態雑誌」などとも呼ばれた戦後風俗雑誌を多数取り上げ、それぞれの雑誌の特徴やテーマの方向性などを比較・分析されています。

河原:戦後風俗雑誌には『あまとりあ』『人間探究』『風俗草紙』『風俗科学』などいろいろありますが、『奇譚クラブ』という雑誌は特別な存在だったと思います。なぜなら、この雑誌だけが、匿名・筆名にはなりますが、著名人ではなく一般の読者からの投稿をバンバン掲載したからです。

 他の雑誌もSMや、同性愛、異性装など、周縁的とされたセクシャリティを扱うことはありましたが、そればかりではなく、いわゆるノーマルなカップルのほうがメイン扱いで「どのようなテクニックを使うといいのか」「どのように避妊をするのか」など、性に関する様々な悩みやトリビアなどをたくさん載せていました。これらは『奇譚クラブ』とは異なり、基本的に医師や著名人などによる記事でした。

『奇譚クラブ』『奇譚クラブ』の表紙(著者提供)
『あまとりあ』(著者提供)『あまとりあ』(著者提供)

 それに対して『奇譚クラブ』は、徹底して「変態」的なテーマだけを載せる雑誌でした。この雑誌を通して、同じ性的関心を持つ人々が出会うこともありました。

 日本の性的マイノリティの結びつきや、当事者の意見発表の場として、そして性的ファンタジーを満たす場としても『奇譚クラブ』は重要な役割を果たし、本誌を起点に様々な文化が展開していきました。人々の創作意欲を鼓舞した、とても意義のある大事な雑誌だと思います。

『奇譚クラブ』は商業的にも大きく成功したので、同じような雑誌がその後次々登場します。

──『奇譚クラブ』の頃というのは、いわゆるエロ本にあたるものは既に世に出回っていたのですか?