2002年10月21日、抜けるような青空の羽田空港に5人の拉致被害者を乗せた全日空のチャーター機が着陸した。タラップを降りてくる5人、出迎える家族。顔を涙でクシャクシャにして抱き合うそれぞれの家族の傍に、少し寂しげな笑顔で出迎える滋さんの姿があった。

 めぐみさんの帰国はかなわなかった。心の中には落胆や葛藤があっただろう。もし、めぐみさんがこの飛行機で帰ってきていたら、滋さんも早紀江さんもどんなに顔をクシャクシャにしたことか。

2002年10月12日、北朝鮮から帰国した拉致被害。上から曽我ひとみさん、蓮池夫妻、地村夫妻(写真:橋本 昇)
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愛娘との再会を果たせぬまま逝った父の無念

 その後、めぐみさんの死亡が噓であることは遺骨鑑定で明らかになった。他の7人についても死亡という情報は信じ難いという。

 しかし、拉致問題は開ける扉も見つからない状況が続いている。政府は「拉致被害者の全員帰国」を掲げてはいるが、問題解決への動きは鈍い。

韓国で拉致されためぐみさんの夫、金英男氏の母親と対面する早紀江さん(写真:橋本 昇)
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 そんな中で、娘や息子の帰国を待ち望んだ被害者の親御さんたちも次々に亡くなっている。横田滋さんも2020年6月に老衰のため87歳でこの世を去った。子煩悩な滋さんが生涯愛した娘のめぐみさんは今年60歳の還暦を迎えるという。

新潟県内で開催される人権啓発集会に向かう横田さん夫妻(写真:橋本 昇)
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