大韓航空機爆破事件に使用された大韓航空B707と同型機=撮影日(写真:共同通信社)
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(フォトグラファー:橋本 昇)

バブルに浮かれはじめた日本にも衝撃

 1987年(昭和62年)、バブル経済に突入した日本で我々が何とはなく浮かれていた頃、お隣の韓国では民主化運動がピークを迎えていた。長く続いた軍事政権下で押さえつけられていた人々が立ち上がったのだ。

 学生が始めたデモは一般市民100万人が参加するデモへと広がっていった。時の政権は苦悩した。韓国は翌年に念願のオリンピック開催を控えているが、1980年に起きた光州事件の時のように軍が出動すればオリンピック開催権を剝奪されてしまう。もはや弾圧によって政権を維持することはできなかった。

 苦悩の末、与党の次期大統領候補である盧泰愚は6月29日に民主化宣言を発表した。この突然の民主化宣言には大統領選出の公正性も盛り込まれていた。

 こうして韓国は民主的な大統領選挙へと動き出した。大統領選挙では与党の盧泰愚、野党の金泳三、金大中の3人が鎬を削っていたが、当時現地で選挙戦を取材していて驚いたのは、その派手なパフォーマンスだった。歌あり手振りありと、韓国の選挙はとにかく賑やかだ。自分たちで勝ち取った民主主義に明るい未来を託そうと皆が明るい顔をしていた。

 結局、この選挙では野党の票が割れて盧泰愚が勝利したのだが、そんな選挙戦の最中の11月29日にどえらい事件が起こった。大韓航空機爆破事件である。