金賢姫の証言で開いた拉致事件の扉

 結局、金賢姫は1989年に死刑が確定したが、翌年に韓国大統領・盧泰愚によって特赦された。そして、自伝を出版し多くのインタビューにも応じたが、その中で、驚くべき情報が飛び出してくる。北朝鮮による日本人拉致の情報だ。

 彼女は日本から拉致された「李恩恵」という女性と同居して彼女から日本人化教育を受けたというのだ。日本では「李恩恵」さん探しが始まり、新聞にも街角にも似顔絵が掲載された。たぶんあの時は全日本人がその似顔絵を目にしたのではないだろうか。その後、1991年に、「李恩恵」さんは1978年に失踪した田口八重子さんであることが判明した。そしてこのことから日本人拉致問題は大きくクローズアップされることとなる。

 大韓航空機爆破事件はこうして新たな波紋を広げていったのだ。

 その後、彼女は安全企画部の男性と結婚、公の場から姿を消して静かに暮らしているとのことだったが、2009年に日本の拉致被害者の会からの要請で田口八重子さんの息子の耕一郎さんと釜山で面会、また、2010年には日本を訪れて横田めぐみさんの両親とも面会した。

2010年来日した金賢姫は軽井沢の鳩山由紀夫氏の別荘で拉致被害者家族と面談した。だが、新たな証言はなかった
拡大画像表示
2010年に来日し、前年に続き田口八重子さんの長男・耕一郎さんと再会した金賢姫は、母親代わりに手料理を振る舞った。田口八重子さんは金賢姫の日本語教師だった
拡大画像表示

 拉致被害者と元工作員、その人生の交錯の物語が良い結末を迎えるよう願ってやまない。