徳川慶喜のあだ名

徳川慶喜

 最後に、四賢侯と時に協調し、時に対立した最大のライバルである徳川慶喜についても触れておこう。慶喜は、「天下大剛情」「剛情生」「剛」とあだ名されている。これは、慶喜の性格から来るものであり、一度決めたら梃子でも動かない慶喜を“剛”で表現しており、絶妙の言い回しである。

 こうしたあだ名は、付けられた側から、必ずしも拒否されたわけではなく、書簡の交換の中では、普通に双方で使用されている。これは、お互いがお互いを心から認め合う、真の信頼関係があってのことであろう。

 固い絆で結ばれた四賢侯であったが、幕末の最終段階では、親幕府的な山内容堂と反幕府的な島津久光・伊達宗城が対立し、松平春嶽が両者を調停する関係となり、明治維新を迎えることになる。