松平春嶽のあだ名

松平春嶽

 松平春嶽について、「鋭鼻公」(えいびこう)がある。これは、春嶽の鼻が高いことを、春嶽自身が自虐的に用いたものであり、自分の顔の一部を揶揄したものである。

 もう一つ、春嶽には、「調笛」「長笛」「暢迪」がある。いずれも、(ちょうてき)と読むのだが、これは“朝敵”をもじったものだ。朝廷(孝明天皇)が即時攘夷を唱えることに対し、春嶽は未来攘夷を唱えていた。このことを即時攘夷派から批判されており、“朝敵”の隠語としてこれらの漢字が当てられたのだ。宗城は、春嶽宛書簡の中で、「調笛」を多用している。

伊達宗城のあだ名

伊達宗城

 伊達宗城について、「長面公」(ちょうめんこう、ながつらこう)がある。顔立ちが面長だったためであるが、これも先ほどの春嶽同様、自虐ネタである。また、宗城は大きな体格であり、そのガタイの良さから、「大漢」(おおおとこ)ともあだ名された。いずれも、身体の特徴である。

 さらに、「弄鏃」(ろうぞく)ともあだ名されている。これは“老賊”(=わるもの)をもじったものであり、宗城の政治スタンスが分かり難かったことに起因していよう。